レンガ造りの北海道庁旧本庁舎、サッポロビール博物館、木造洋館の時計台、豊平館と開拓時代のレトロな建物が残される札幌。札幌を旅する人が見落としがちなのが、開拓使のシンボルマーク「五稜星」。「五稜星」(ごりょうせい)の存在を知っている道民も、案外、その意味を知る人は少ないのです。
明治5年〜明治15年の10年間、開拓使の印に使用された

北海道庁旧本庁舎、サッポロビール博物館(旧・札幌製糖工場)、サッポロファクトリー(旧・開拓使麦酒醸造所)、時計台、豊平館などを訪れる際は、必ず目立つ場所に付いている「五稜星」に注目を。
単なる赤い星印といってしまえばそれまでですが、実は明治初年に北海道開拓を託された開拓使が建てた建物、その関係施設には必ず付けられたシンボルマークです。
明治政府は、維新後の明治2年、早くも開拓使を札幌に設置しています。
これは明治政府が、「蝦夷地之儀ハ皇国ノ北門」と考えていたから。
広大な北海道(当時は蝦夷地)の開発は日本の近代化に欠かせないと踏んだこと、さらに幕末からロシアの南下政策の脅威にさらされており、北方警備の重要性を認識していたからです。
当時、蝦夷地の中心は、箱館(現・函館市)でしたが、これでは開発防備の拠点としては南すぎるということで、新たに札幌に市街化計画を立てたのです(明治4年5月、札幌に開拓使庁設置)。
早くも明治9年には、札幌農学校と開拓使麦酒醸造所を設置、北海道への開拓者の受け入れなども始めていますが、現存する札幌市時計台は札幌農学校演武場として、明治11年完成。
開拓使麦酒醸造所は、ドイツで醸造法を学んだ日本人技術者らがスタートさせた国産のビール工場で、現在のサッポロビールの前身です。
現在のサッポロファクトリーは、明治25年に建てられたビール工場の建物を再生したもので、開拓使自体は明治15年に廃止されていますが、レンガ造りの建物には、今も五稜星が残されています。
実はこの五稜星が、現在のサッポロビールのトレードマークで、開拓使麦酒醸造所の歴史を継承している証となっているのです。
北海道庁旧本庁舎、開拓使が建てた洋風ホテル「豊平館」にも五稜星が目立つ場所に配されているほか、北海道開拓の村(札幌市厚別区)にある旧開拓使札幌本庁舎(明治6年10月完成、明治12年焼失/現在の建物は再現建造物)には尖塔の上に五稜星の旗が必ずはためいています。

「樺戸丸」船長・蛯子末次郎がデザインを
さてさて単なる赤い星印、幾何学上では星型五角形(ペンタグラム)をなぜ「五稜星」というのかといえば、互いに交差する長さの等しい5本の線分で構成され、中心部分に五角形が現れる星だから。
この星は、蝦夷地に向かう帆船のマスト掲げられ、北極星と重なることで真北に進んでいることを表したのだとか。
明治5年、開拓使御用掛となり、青函航路の「樺戸丸」船長に就任した蛯子末次郎(えびこすえじろう/箱館に生まれ、箱館の諸術調所で航海術を習得)は、時の開拓使長官・黒田清隆の指示で北極星をデザイン化した「北辰旗」を作成、船に掲げました。
原案には、七光星、さらには大きな星の周囲に小さな星を散りばめたものなどもありましたが、青地に赤色の五稜星(TOPの画像)が採用されたのです
以降、開拓使の公用船にはこの「北辰旗」を「北海道船艦旗章」と定め、開拓使は明治5年2月14日付で大蔵省と内務省に、2月24日付けでた神奈川港・兵庫港・長崎港・新潟港(当時開港していた国際貿易港)宛に「当使の艦船旗章を別紙の通り定めた」と青地に赤色の五稜星を描いた図面を添付して連絡しています。
蛯子末次郎は蝦夷地へと向かう船乗りたちが頼りにした北極星を旗印にし、それがそのまま開拓使の章号となったというわけです。
2024年に公開された大ヒットアニメ(映画)『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』の「五稜星」は「みちしるべ」と読ませていますが、実はこの五稜星誕生の歴史を制作サイドが知っていたとも推測できるのです。
2026年は開拓使麦酒醸造所をルーツとするサッポロビールも150周年。
五稜星に想いを馳せながらビールを傾けるのもいいかもしれません。

| 【とっておきの北海道】札幌では、開拓使のシンボルマーク「五稜星」に注目! | |
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