港にある灯台は船から見て右側(港の右舷側)が赤、左側が白と決まっていますが、岬などに建つ灯台は白が基本。なかには紅白の縞模様という灯台があり、「雪景色などで背景に同化して見えにくくなる場所」と説明されていますが、実は総天然色映画『喜びも悲しみも幾歳月』制作が大いに関係しているのです。
スクリーンでの見栄えがいいと、灯台を赤白に塗装

国産初の総天然色映画(オールカラー映画)は、浅間山麓(北軽井沢エリア)で大々的にロケを行なった『カルメン故郷に帰る』(昭和26年公開、松竹大船撮影所製作、木下恵介監督、高峰秀子主演)ですが、当時はまだカラーフイルム出始めで、色のコントラストがはっきりしないと寝ぼけた画像になるという時代でした。
昭和32年10月1日公開で大ヒットしたのが映画『喜びも悲しみも幾歳月』(松竹制作)。
海の安全を守る灯台守(とうだいもり)の25年間を描いた長編ドラマで、原作は福島県塩屋埼灯台長(当時)田中績(いさお)の妻・きよの手記。
風光明媚な灯台風景と過酷な自然(まだ庶民は旅する時代ではありませんでした)、そして佐田啓二、高峰秀子の黄金コンビ、若山彰(わかやまあきら)の歌う主題歌と、ヒットする条件の揃った映画だったのです。
新婚早々の灯台守・有沢四郎(佐田啓二)と妻・有沢きよ子(高峰秀子)は、昭和6年、三浦半島の観音埼灯台(神奈川県横須賀市)で灯台守生活をスタートさせ、昭和7年、北海道・石狩灯台(北海道石狩町/現・石狩市)で雪野・光太郎の2人の子を授かります。
石狩灯台のある石狩川の砂丘地帯でロケが行なわれたのは、昭和32年3月24日~28日。
撮影以前は白亜の灯台だったのですが、ロケ時は雪景色で、スクリーン映えがするように配色が赤白2色に塗り替えられたのです(配色の方法は今と異なります)。

赤白の塗装は雪景色でも目立つことが判明!

昭和40年に無人化され、平成11年に海側へ14m移設されていますが、紅白のツートンカラーは今も同じです。
「スクリーン映えするから紅白に」という発想は、実は「雪景色のなかで白い灯台だと目立たない」ということから。
明治時代の木造灯台は、雪でも目立つようにと白と黒の縞模様でしたが、近代灯台になった明治41年には白亜の灯台となっていました。
もし映画がモノクロ時代の制作なら、白と黒の縞模様だったのかもしれませんが、昭和32年は「総天然色」が売りの時代。
外国映画に負けまいと、日本の映画人たちも奮起し、見栄えのいい映画づくりに専念していたのです。
そこで灯台を塗り替えるという大胆な展開が生まれるわけですが、結果として「雪景色で目立つ灯台」が誕生。
その後、北海道ではこの赤白の縞模様が珍しくない存在になっているのです。
礼文島・北のカナリアパーク にある奮部灯台(ふんべとうだい)、稚内・ノシャップ岬の稚内灯台と宗谷岬灯台、小樽・高島岬の日和山灯台(ひよりやまとうだい)、白老町のアヨロ鼻灯台(平成28年に灯台としては廃止、町が保存)、霧多布の湯沸岬灯台、根室の花咲灯台と落石岬灯台、噴火湾沿い森町の砂埼灯台(すなさきとうだい)、苫小牧の苫小牧灯台、北海道最南端の白神岬灯台と過半数を占める灯台がこの赤白塗装。
ブームともいえる赤白塗装ですが、その原点は石狩灯台で、総天然色映画『喜びも悲しみも幾歳月』ロケということに。
| 総天然色映画『喜びも悲しみも幾歳月』制作で、北海道に赤白灯台が数多く誕生! | |
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