旧花田家ニシン番屋

留萌(るもい)市街の北25kmほどの小平町(おびらちょう)の日本海オロロンライオン(国道232号)沿いに建つ、旧花田家ニシン番屋。明治から大正にかけて全盛を極めたニシン漁の番屋の跡で、道内では最大の規模の「ニシン御殿」。国の重要文化財で、北海道遺産にも認定。一帯は「道の駅おびら鰊番屋」としても整備されています。

道内一の規模を誇る鰊番屋を保存

旧花田家ニシン番屋は、明治38年頃(壁紙下張の新聞紙の日付が明治37年、38年だったことから)に建てられた番屋で、全盛期には漁夫、船大工、鍛冶職に至るまで、約200人もの人たちが暮らしていました。

明治29年頃、山林を入手して伐採、製材に着手したものと推測され、建材はすべて大椴(おおとど=現・小平町大椴)地区の山から伐り出し、三半船(さんぱせん=ニシン漁に使われる刺網船)で海上を運び、木挽き(こびき)の手によって製材されています。

建物は、目の前の浜に向かって建てられ、浜辺はニシンの加工、煮炊きなどに使われました。
番屋の1階は親方家族の居室と若衆(やんしゅう=雇漁夫)が暮す広間、2階には前浜の漁場の様子が見渡せる「見張り台」や商談の間などがありました。

親方と漁夫の作業場兼住居という構造に注目を

漁夫の生活空間

親方と家族の生活空間

1階の広い土間が台所に直結するのは、ニシン漁の全盛時代に、漁夫たちは草鞋(わらじ)を脱がずにここで食事を取ることができるように。
土間を挟むように配された左右の部屋は、片側が板張りの大広間で、漁夫達が寝起きする生活空間。
囲炉裏が3つも切られています。
漁夫が就寝するスペースは、雛壇状の3段になった「デッキ」と呼ばれた寝台です。

畳敷きの方が親方家族の居住空間で、柱などには紫檀や黒檀など高価な材木が使われています。
有田焼の豪華な男子用便器などもあって、「ニシン御殿」と称される理由がよくわかります。

内部には、ニシン漁に使用されていた道具や衣装などを多数展示。

一帯は、「道の駅おびら鰊番屋」として整備され、国道を渡った海側には「にしん文化歴史公園」が配されて、松浦武四郎の像も立っているのでお見逃しなく。

ニシン漁全盛時代の栄華を今に伝える「ニシン御殿」
花田家はもとは芸州広島の郷士(上林家)。南部盛岡藩を経て、松前郡福島村に渡り、花田姓に改めています。
1863(文久3)年、一家を挙げて、鬼鹿に移り、最盛期には18ケ統の鰊定置網を経営する天塩国有数の漁業家に成長します。

ニシン漁は、幕末から明治・大正、そして昭和にいたるまで、北海道にとってはもちろん、日本全体の生活と経済を支えた重要な産業でした。
旧花田家番屋の建てられた明治38年は、ニシン漁の最盛期。
今では失なわれてしまいましたが、往時には船倉、米蔵、網倉など100棟以上の付属施設が建ち並んでいました。
つまりニシン漁場の繁栄を今に伝える貴重な史料となっているのです。

旧花田家番屋は、往時のニシン漁場景観がそのまま残された道内唯一の国指定史跡「旧佐賀家漁場」(留萌市礼受)、岡田家鰊番屋(苫前町苫前)とあわせて、「留萌のニシン街道(旧佐賀家漁場、旧花田家番屋、岡田家と生活文化)として北海道遺産に登録。


 

旧花田家ニシン番屋 DATA

名称 旧花田家ニシン番屋/きゅうはなだけにしんばんや
所在地 北海道留萌郡小平町鬼鹿広富35-2
関連HP https://www.town.obira.hokkaido.jp/
電車・バスで JR留萌駅から沿岸バス羽幌方面行きで25分、花田番屋下車
ドライブで 深川留萌自動車道深川西ICから国道233号を46km走った元川町2交差点交差点を右折、国道232号を27km
駐車場 40台/無料
問い合わせ TEL:0164-57-1411

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