宗谷岬バス停(日本最北端のバス停)
北海道稚内市宗谷岬、宗谷岬の先端に立つ日本最北端の地の碑、間宮林蔵の立像の立つ園地前、国道238号沿いにあるのが、宗谷岬バス停。宗谷バスのバス停で、日本最北端のバス停。宗谷バス天北宗谷岬線が稚内駅前ターミナル〜宗谷岬〜鬼…
北海道稚内市宗谷岬、宗谷岬の先端に立つ日本最北端の地の碑、間宮林蔵の立像の立つ園地前、国道238号沿いにあるのが、宗谷岬バス停。宗谷バスのバス停で、日本最北端のバス停。宗谷バス天北宗谷岬線が稚内駅前ターミナル〜宗谷岬〜鬼…
北海道稚内市宗谷岬、宗谷岬の先端に立つ日本最北端の地の碑の国道寄り、サハリン(樺太)を眺めるのが、間宮林蔵の立像。間宮林蔵の生誕200年にあたる昭和55年7月に、その偉業を顕彰し、時代を担う青少年に、世界へ羽ばたく夢と勇…
北海道稚内市宗谷岬、「日本最北端の地の碑」に東側、海岸側に立地するので、名実ともに日本最北端の店ということに。経営する会社名も最北観光と、最北端が売りに。入口の三角屋根は宗谷岬をイメージしているのだとか。日本最北端到着証…
北海道稚内市宗谷岬、宗谷岬の突端(日本最北端の地の碑)からオホーツク海側に少し走った宗谷港宗谷岬会館近くにある日本最北の郵便局が、宗谷岬郵便局。ここで葉書を買って投函すれば「日本最北端の郵便局 北海道宗谷岬」と記される風…
北海道稚内市宗谷岬、宗谷岬の先端に立つのが、日本最北端の地の碑。北極星の一稜をかたどった三角錐をデザインしたもので、塔の中央にあるNは北を、台座にの円形は「平和と協調」を表現。昭和63年の国道拡張で、20mほど岩礁に出っ…
北海道稚内市、北海道遺産にもなっている波状丘陵(周氷河地形)の広がる宗谷丘陵に配されているのが白い道(白い貝殻の道)。平成23年に、当時の稚内市産業観光課職員のアイデアで、宗谷牧場のオフロードにホタテの貝殻を砕いて敷き詰…
北海道稚内市、宗谷岬にある日本最北のガソリンスタンドが安田石油店。出光昭和シェルの宗谷岬SSで、ここで給油すれば「最北端給油証明書」がもらえる仕組み。根室市にあるENEOS歯舞SS(ヒシサン歯舞給油所)にも寄れば、日本最…
「宗谷丘陵の周氷河地形」として北海道遺産に登録される北海道稚内市、宗谷岬背後の波状丘陵。北海道の波状丘陵の多くは農地改良などで失われていますが、宗谷丘陵は、面積1800haという広大な宗谷岬牧場の牧草地、放牧地として転用…
北海道稚内市、宗谷岬背後に広がる北海道遺産に登録された宗谷丘陵。その宗谷丘陵の丘の上に建つ「宗谷丘陵展望休憩施設」がゲストハウスアルメリア。風車が目印の建物で、併設のレストランではオリジナルブランド「宗谷黒牛」や稚内名物…
吉田弘の作詞、船村徹の作曲で、ダ・カーポが『みんなのうた』で歌って昭和51年にヒットした『宗谷岬』。実は、ダ・カーポ(久保田広子・榊原まさとし)はリメイクで、昭和47年7月、黒木真理(くろきまこと)がオリジナル。『宗谷岬…
北緯45度31分14秒、日本最北端の岬で、突端には日本最北端の地碑が立っています。晴れた日には、宗谷海峡を挟んで約43km離れている樺太(サハリン)南端のクリリオン岬もはっきりと視認できます。地碑近くには1808(文化5…
伝承では、蛎崎慶広(かきざきよしひろ)が、1561(永禄4)年、姓を松前と改めた際に、宗谷に弁財天堂を寄進したのが始まりといいますが定かでありません。宗谷における和人の歴史は古く、1582(天正10)年、松前藩領となり、…
徳川幕府は寺院の建立を禁じていましたが、1802(享和2)年、蝦夷地全島を直轄地とした幕府は蝦夷地に5ヶ寺の建立を許可し、1804(文化元)年に有珠善光寺、様似等樹院、厚岸国泰寺の3寺が開山しています。その後、幕末に秋田…
宗谷岬突端の高台に設けられた軍事史跡。明治8年の樺太・千島交換条約(樺太での日本の権益を放棄、得撫島以北の千島18島をロシアが日本に譲渡)で、宗谷海峡は国境となり防備の必要に迫られます。当時、最強と謳われたロシアのバルチ…
宗谷岬突端の高台(標高30m)に設けられた日本の最北に位置する灯台。宗谷海峡は、ロシアと国境が接する国際海峡で、そこを航行する船の安全を守っているのです。歴史は古く、明治18年に八角形鉄造の初代宗谷岬灯台が点灯。現在の灯…