【知られざる北海道】vol.11 北斗市にある「四稜郭」を知っていますか?

「四稜郭(しりょうかく)を知っていますか?」この質問を函館界隈の観光関係者に投げかけると、なぜ、そんな当たり前のことを聞くのかという顔で、「もちろん知ってますよ。ほら、小さいですがパンフにも載っています」なんて答えが必ず返ってきます。ところがどっこい、函館以外で、この四稜郭なるものを知っている人は、ほぼ皆無。

五稜郭建造以前に築かれた洋式城郭が四稜郭

四稜郭

北海道新幹線の新函館北斗駅が開業し、注目の函館・北斗エリアですが、その新函館北斗駅にほど近い場所にありながら、この四稜郭を知る人は、相当な北海道ツウか、あるいは函館出身者ではないでしょうか。その四稜郭、現地に立つと意外に立派で・・・。

カーナビでは四稜郭まで誘導できないので(四稜郭がデータベースになく、電話番号もないため)、近くの沖川小学校をカーナビに入力して、四稜郭を目指します。
到着前に、四稜郭が何なのかの説明をまずは手短に。
函館には、幕末に旧幕府軍(蝦夷共和国軍)が立て籠もり、新政府軍と壮絶な争いを展開した五稜郭という西洋式の城郭があります。五稜郭タワーの展望室に上がれば、まさに五稜(5ヶ所の出っ張りのある)の星形がはっきりと視認できます。
五稜郭は、日米和親条約締結による箱館開港に伴い、安政4年(1857年)に着工し、慶応2年(1866年)に完成した西洋式の城郭。ただし、砲艦からの攻撃を受けないようにと内陸に築かれましたが、本来のヨーロッパの城郭に比べれば、予算不足で、防備にははなはだ疑問が残る城でした。それが証拠に、函館湾に停泊した新政府軍の砲艦からドーンと大砲が撃ち込まれてもいます。それでも、「五稜郭と箱館戦争の遺構」は国の特別史跡で、かつ北海道遺産にも登録されています。

対する四稜郭は、函館市陣川と北斗市野崎の2ヶ所にあります。函館市陣川の四稜郭は、明治2年、箱館戦争の際に蝦夷共和国(箱館政権)が函館郊外の陣川に、新政府軍を迎え撃つためににわか造りで構築したもの。五稜郭を援護する支城で、五稜郭とは3kmほど離れています。「五稜郭と箱館戦争の遺構」の一部として、北海道遺産にも登録されています。

周囲には堀も巡らされた北斗市野崎の四稜郭
周囲には堀も巡らされた北斗市野崎の四稜郭
 

日本初の西洋式城郭はこの戸切地陣屋(四稜郭)

今回紹介するのは、この函館市陣川の「急造四稜郭」ではありません。北斗市野崎にある四稜郭で、正式名を「松前藩戸切地陣屋跡」(まつまえはんへきりちじんじゃあと)といいます。安政2年(1855年)、幕府が松前藩に築造を命じたもので、なんと! 五稜郭より、こちらの方が築城は先ということになります。
北斗市上磯町の市街地から5kmほど内陸に入った高台で、函館湾を見渡すことができる一等地です。

函館市などは「日本最初の洋式築造城郭『五稜郭』」とPRしていますが、実は最初に築城された洋式城郭は、北斗市野崎にある四稜郭(松前藩戸切地陣屋)なのです。
函館市としては、四稜郭は城郭というには小型で陣屋じゃないかという話かもしれませんが・・・。

「沖川小学校」をカーナビに入れて、道道96号を走ります。清川寺のところで、狭い道に入ると、桜の巨木並木が出迎えてくれます。
当初、「どうせチンケな城跡だろう」と想像していたのですが、桜並木のかなたに土塁が見えてきたのをきっかけに、「すごーく立派じゃないか!」と想像以上の規模に胸も高鳴ります。

土塁に囲まれた城郭の一角には復元された城門もある
土塁に囲まれた城郭の一角には復元された城門もある
 

実は実戦ではほとんど役に立たなかった!?

実はこの城、実戦ではまったく役に立ちませんでした。
明治元年、榎本武揚率いる旧幕府軍が現在の森町鷲ノ木に上陸すると、新政府軍の陣屋守備隊は応戦のために移動、10月24日、大鳥圭介率いる伝習隊と意冨比神社(おおひじんや=現在の北斗市本町)で交戦しますがあえなく敗退。この四稜郭(戸切地陣屋)に逃げ帰ります。
当然、旧幕府軍は陣屋への追撃をかけますが、旧幕府軍に四稜郭を奪取されるのを恐れた新政府軍は、四稜郭の建物17棟に火を放って松前城などへとさらに敗走します。
というわけで、現在残るのは昭和54年から国、道の補助を受けて環境整備を行ない平成13年に完成した復元城門と、建物の位置を示す礎石などの類のみ。城郭を囲む高さ約3mの土塁と深さ3mほどの堀は昔ながらに残るので、その意外なほどに大きな規模(面積は10万4000平方メートル)はよくわかります。
この城郭に、松前藩士120人が陣取っていました。

藩士が住んだ長屋や、蔵、弾薬庫など礎石と案内板が設置されています
藩士が住んだ長屋や、蔵、弾薬庫など礎石と案内板が設置されています
 

GWには『北斗陣屋桜まつり』も開催されます

さてさて、ここまで読んでいただければ、どれだけ凄い城郭であるかはお分かりいただけたと思います。
でも地元では、どうやら「桜の名所」としての方が有名です。四稜郭への取り付け道路に植えられた桜は、「陣屋桜」として超有名なのです。
明治37年、函館の呉服商である岩船峯次郎が日露戦争勝利を祈念して植えたもので樹齢100余年。春にはそれはそれは見事なことでしょう。
「最近ね、鳥が桜のつぼみを食べてしまうので、撃退するのが大変なんだよ」
と四稜郭の立派な松を保守するボランティアの人は嘆いています。

地元の人が丁寧に維持管理する、四稜郭ですが、ホント、全道的にもまだまだ無名の存在です。
付け加えれば、この松前藩戸切地陣屋跡、当然のことながら国の史跡となっています。
史跡一帯は戸切地陣屋跡史跡公園として整備され、函館公園、見晴公園、五稜郭公園、元町公園、函館山緑地などとともに「日本の歴史公園100選」に選定されています。

東南には亀の首のような突き出した稜堡があり、ここに大砲6門を備えていました
東南には亀の首のような突き出した稜堡があり、ここに大砲6門を備えていました
「陣屋桜」として有名な桜並木。GW頃には『北斗陣屋桜まつり』も開催
「陣屋桜」として有名な桜並木。GW頃には『北斗陣屋桜まつり』も開催

 

四稜郭(松前藩戸切地陣屋跡)
名称 四稜郭(松前藩戸切地陣屋跡)/しりょうかく(まつまえはんへきりちじんじゃあと)
所在地 北海道北斗市野崎
ドライブで 函館空港から約10km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 北斗市観光協会 TEL:0138-73-2408

四稜郭(松前藩戸切地陣屋跡)

2017.05.01
 

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ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。