抜海岩蔭遺跡

抜海岩蔭遺跡

北海道稚内市抜海村、ゴマフアザラシの越冬で知られる抜海港近くにあるのが抜海岩蔭遺跡。抜海は、アイヌ語のパッカイ・ペ(pakkay-pe=子を背負う・もの)が地名の由来で、抜海岩はまさにその名の通り、子を背負う姿の岩になっています。幕末の探検家・松浦武四郎もその日記に当時すでに聖地であった抜海岩を記載。

抜海の地名の由来となった岩は先住民族の遺跡

抜海岩蔭遺跡

抜海村の地名の由来ともなった子を背負う姿の抜海岩の基部にある海蝕洞が、抜海岩蔭遺跡。
昭和38年の発掘調査で出土した品は、オホーツク式土器が大半を占めていますが、擦文式土器(本州の土師器の影響を受け、大和朝廷設立頃~鎌倉時代頃に北海道で発達した文化)と続縄文時代(本州の弥生時代~古墳時代に北海道と東北北部に広がる狩猟・採集・漁労を中心とする文化)の後北式土器も出土している。
現在は海岸線から250mほど離れた抜海神社地内にありますが、縄文時代には海面標高が今より2~3m高かったと推測され、続縄文時代には波打ち際近くにあったと推測できます。

オホーツク文化は、続縄文時代に道北の沿岸地帯に生まれた北東アジア大陸の影響が色濃く現れた特有の文化ですが、やがて本州の影響を受けた擦文文化に吸収されていきました(擦文文化とオホーツク文化は知床半島などで融合し、トビニタイ文化が生まれています)。

名称 抜海岩蔭遺跡/ばっかいいわかげいせき
所在地 北海道稚内市抜海村抜海
関連HP 稚内市公式ホームページ
ドライブで 稚内空港から約23km
駐車場 抜海神社駐車場を利用
問い合わせ 稚内市教育委員会 TEL:0162-23-6518
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

知床で花開いたトビニタイ文化を知る

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