北海道集治監釧路分監本館(標茶町博物館)

北海道集治監釧路分監本館(標茶町博物館)

北海道標茶町(しべちゃちょう)、塘路湖(とうろ)の湖畔に建つ擬洋風の建物は、明治18年に建てられた北海道集治監釧路分監本館。集治監というのは、流徒刑を受けた人々を拘禁する施設。もともとは現在の標茶高校敷地内にありましたが、昭和44年に移築、標茶町郷土館として開館したもの。現在は標茶町博物館の一部となっています。

北海道開拓の歴史を今に伝える擬洋風建築

北海道開拓の労働力不足を補うために、全国の監獄から送られてきた刑期10年以上の重刑囚を、樺戸集治監(明治14年開設/月形町、現・月形樺戸博物館)、空知集治監(明治15年開設/三笠市、レンガ煙突のみ現存)、標茶の釧路集治監(明治18年)に送り、道路の建設など過酷な使役に使ったのです。
釧路集治監に収監された囚人は、明治29年には1371人を数えていますが、有期徒刑695人、無期徒刑649人、有期流刑12人、懲役終身者65人という内訳でした。
当時は、庁舎1棟、官舎18棟、獄舎19棟、工場5棟、倉庫11棟がありましたが、現存するのは庁舎1棟のみとなっています。

釧路集治監の囚人の労働は、明治19年、アトサヌプリ(硫黄山)で硫黄採掘から始められました。
標茶・厚岸間道路、標茶・釧路間道路、硫黄山・網走間道路、網走・上川間中央道路、厚岸屯田兵舎などにも従事しています。
道路開削では、原野に飯場を築いて寝起きしましたが、ヒグマに襲われる過酷な環境と寒さで、命を失う囚人も多かったといいます(道路建設は明治27年頃までで、その後は農業に従事)。
食料も、自給自足を基本としたので、周辺の土地を開墾し、牧場も開いています。

明治18年に開設した釧路集治監は、明治21年に釧路監獄署、明治23年に釧路集治監、明治24年に北海道集治監釧路分監と名前を変え、明治34年に歴史を閉じて網走分監に移されています。
16年間にわたる歴史のなかで、死亡した囚人は505人を数えているので、いかに過酷な生活だったかがわかります。
釧路〜標茶〜川湯〜網走を結ぶ国道391号もルーツは囚人たちの使役で開削された囚人道路で、細岡展望台の東側(釧路町遠矢〜達古武)には仮監峠(かりかんとうげ)と名のついた旧道の峠、峠越えの道(ダート)も残されています。

北海道集治監釧路分監本館の内部は、明治時代に使われた集治監の状態へと復元されています。
北海道集治監釧路分監本館は入館無料なので、興味がある場合は、標茶町博物館受付へ。

北海道集治監釧路分監と軍馬補充部川上支部を詳しく解説したパネルと写真が設置されています。

隣接する旧塘路駅逓(きゅうとうろえきてい)は、北海道の開拓推進のために設置された施設で、標茶周辺では20kmごとに設けられ、旅人への便宜を図っていました。
塘路駅逓は、明治17年、塘路湖畔に建てられた漁業番屋を転用したもの。
明治28年頃から釧網本線塘路駅が開業する翌年、昭和3年まで駅逓として使われていました。

塘路湖周辺の高台には、マサコヤノシマ遺跡など縄文時代の遺跡も発掘。
発見されているだけで210ヶ所もの遺跡が判明しており、北海道屈指の遺跡数になっています。
「憩の家かや沼」隣接のパークゴルフ場の凹地も縄文人の住居跡だったりするのだとか(茅沼遺跡)。
標茶町では先史時代にも注目を。

北海道集治監釧路分監本館(標茶町博物館)
名称 北海道集治監釧路分監本館(標茶町博物館)/ほっかいどうしゅうちかんくしろぶんかんほんかん(しべちゃちょうはくぶつかん)
所在地 北海道川上郡標茶町塘路原野北8線58−9
関連HP 標茶町博物館公式ホームページ
電車・バスで JR塘路駅から徒歩20分
ドライブで たんちょう釧路空港から約47km
駐車場 25台/無料
問い合わせ 標茶町博物館 TEL:015ー487ー2332/FAX:015ー487ー2364
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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