北海道・洞爺湖畔の活火山、有珠山(うすざん)。戦時下の昭和19年に誕生した昭和新山は、国の特別天然記念物に指定されていますが、洞爺湖温泉街の近く、壮瞥町(そうべつちょう)には、明治新山と通称され四十三山(よそみやま/251.4m)があることは、あまり知られていません。
明治43年に隆起して誕生したので四十三山と命名

戦時下ながら、壮瞥郵便局長・三松正夫が正確な観測記録(ミマツダイヤグラム)を残したことで、その成長の記録が今も残される昭和新山。
対する明治新山は、明治43年の噴火活動で誕生した有珠山の側火山(溶岩円頂丘)です。
明治43年7月19日に有感地震が始まり、火山性と思われる地震活動が活発化したため、室蘭警察署長・飯田誠一は、有珠山周辺の住民に「住民1万5千人全員、有珠山より3里(約12km)以遠に退避すべし」という避難命令を出します。
明治43年7月25日、金比羅山から噴火し、翌7月26日にはその西側で噴火、7月31日には最大の噴火が発生し、その火口は今も残され、近くに住んでいた阿野源太にちなんで「源太穴」(げんたあな)と呼ばれています。
8月に入ると土地の隆起が始まり、11月上旬には火山学者・大森房吉によって標高60mだった平坦地が150m隆起し、標高210mの新山が形成されたことが確認されています。
その明治新山は、明治43年に誕生したことで、四十三山と名付けられたのです。
かつては活発な噴気のあった四十三山の火山活動も収束化し(地形図上にはまだ火山活動を示す記号が残され、一部に噴気があります)、全体は広葉樹で覆われているため、洞爺湖温泉街からは「緑あふれる丘」として見逃してしまいます。
それゆえ、明治新山の存在を知る人は稀で、しかもガイドブックなどにも掲載されていません。
当時、まだ洞爺湖の湖畔には温泉がなく、大正6年6月、壮瞥郵便局長・三松正夫(明治新山誕生時には壮瞥郵便局の局長代理)らが鉱山見学の帰途、湖畔で43度という適温の温泉が湧出しているのを発見。
発見者3人の名義で温泉利用の出願を提出、温泉旅館「竜湖館」が誕生したのが、温泉街へと大成長した洞爺湖温泉の始まりです(開湯当初は「床丹温泉」・とこたんおんせんと呼称)。
温泉旅館「竜湖館」があった場所は、洞爺温泉ホテル華美の駐車場あたりで、その背後のには明治新山(四十三山)が。
つまり洞爺湖温泉は、明治新山誕生の火山活動の恩恵といういうことに。
一帯は洞爺湖有珠山ジオパークのジオサイトで、探勝路「明治新山(四十三山)ルート」も整備されています(全長4.3km、所要2時間10分)。
ヒグマなどの野生生物との遭遇には注意が必要です。
北海道には昭和新山だけでなく、明治新山もある! | |
名称 | 明治新山(四十三山)/めいじしんざん(よそみやま) |
所在地 | 北海道有珠郡壮瞥町洞爺湖温泉 |
ドライブで | 道央自動車道伊達ICから約9km |
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