龍雲閣

龍雲閣

北海道日高郡新ひだか町静内、二十間道路の桜並木の最奥に建つのが、龍雲閣。明治42年に「新冠御料牧場」(現・家畜改良センター新冠牧場)の貴賓舎「凌雲閣」として建てられた建物が、現存。木造一部2階建て楢茅葺きの建物で、明治末から大正時代には多くの貴賓が利用しています。

新冠御料牧場の迎賓館が現存

龍雲閣
伊藤博邦(伊藤博文の養嫡子)の揮毫額「龍雲閣」

明治5年に北海道開拓使長官・黒田清隆の命により、北海道産馬の改良を目的として、日高管内の静内・新冠・沙流の3郡に及ぶ7万haという広大な地に開設された新冠牧馬場が前身。
明治17年に宮内省管轄となり、明治21年からは新冠御料牧場と改称、桜並木で知られる二十間道路は明治36年に築かれた幅20間の新道です。

そんな新冠御料牧場では、日露戦争下、陸軍の求めに応じて、雪に強い多数の軍馬を拠出した実績があり、皇族や高官の訪問も頻繁となったために迎賓館的施設が必要に。
そこで建設されたのが現在の龍雲閣で、明治42年のこと。

最初の宿泊客となったのは、完成後間もなく、韓国皇太子の案内役として来場した伊藤博文(いとうひろぶみ)で、御料牧場訪問後の2ヶ月後にハルピンで暗殺され、龍雲閣には、伊藤の絶筆とされる七言絶句の墨書も残されているのです。
その後、大正天皇、昭和天皇が皇太子のときにの行啓にも利用されています。

建物は2階建ての主屋と、その前後に突き出た平屋の付属屋2棟からなり、主屋には入母屋(いりもや)の大屋根を架け、裳階(もこし=一見すると屋根に見える軒下の壁に差し掛けられた庇)を巡らせています。
また、2階からは広大な牧場が見渡すことができました。

二十間道路に山桜1600本、ドイツトウヒ32万本が植栽されたのは、大正5年のこと。

龍雲閣は、『しずない桜まつり』期間中のみ一般開放。
その他の期間は柵越しに外観のみ見学可能となっています。

近くには大正9年築、洋風の御料牧場旧事務所、牧場の鎮守社である生馬神社(いくまじんじゃ=昭和15年に場長・川村太郎次が創建)もあるので、興味があればあわせて見学を。

なぜ新冠に広大な御料牧場が誕生したのか!?

明治維新後の近代化で、近代牧畜推進を進めていたのは大久保利通でしたが、明治11年に暗殺され、岩倉具視などは近代化の諸政策、不平等条約の改正などで手が回らない状況でした。
近代牧畜推進は産業、食料だけでなく防衛にも重要だということを痛感、その遅れを危惧していたのが明治天皇で、自ら陣頭指揮を行ない、明治17年、新冠牧馬場を宮内省に移管、さらに明治18年、下総種畜場も農商務省から宮内省に移管したのです。

新冠牧馬場を新冠御料牧場、下総種畜場を下総御料牧場と改称したのが明治21年で、大日本帝国憲法公布の前年のこと。

明治天皇は、帝室(皇室)のために設置せられたものではなく、我が国の牧畜の発達に貢献、その向上を促進させるためのものと、目的を明確に宣言しています。

こうした先見の明が、日露戦争での軍馬の活躍につながったともいえるでしょう。

龍雲閣
名称 龍雲閣/りゅううんかく
所在地 北海道日高郡新ひだか町静内御園111
関連HP 新ひだか町公式ホームページ
ドライブで 日高自動車道日高厚賀ICから約28km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 新ひだか観光協会 TEL:0146-42-1000
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

二十間道路

馬の町として知られる新ひだか町にある道路で、道道111号とほぼ平行に目名から家畜改良センター新冠牧場(にいかっぷぼくじょう)まで延びています。新冠牧場の前身である御料牧場を視察する皇族の行啓道路として明治36年に造成された歴史ある道。「日本

龍雲閣

ABOUTこの記事をかいた人

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!