旧笹浪家住宅

笹浪家は上ノ国で代々鰊漁などを営んできた旧家。初代は享保年間(1716年~1735年)に能登国珠洲郡笹波村(ささなみむら=現・石川県珠洲市笹波町)から松前福山に渡り、その後、上ノ国に移り住んだのだとか。現存する建物は、19世紀の前期に5代目・笹浪久右衛門が建てたもので、国の重要文化財。現存する道内最古の民家です。

北海道の日本海沿岸に鰊番屋の原型を示す貴重な建物

明治26年頃に道路拡張のため建物の前面半間(約90cm)が縮められていますが、雰囲気は往時のまま。
平成2年に笹浪家から町に寄贈され一般公開されています。

1848(嘉永元)年築の米・文庫蔵(国の重要文化財)は上ノ国の歴史をたどるガイダンス施設として公開。

上ノ国市街地で発見された縄文時代~近世の出土物を展示していますが、アイヌの大切な祭祀具イクパスイ、北海道で唯一文字が判読できた木簡(木の荷札)、擦文時代(さつもんじだい=7世紀〜13世紀、本州の飛鳥、奈良、平安時代の文化)の内耳土器(土鍋)など貴重な品も交じっているので必見です。

江戸時代後期の旅行家・管江真澄(すがえますみ)の足跡をビデオでたどるコーナーも歴史ファンには人気。
中世にアイヌと和人が混住していたと推測される上ノ国の歴史を知るためにも上ノ国勝山館跡ガイダンス施設はぜひ合わせて見学したい場所です。

菅江真澄と上ノ国
1788(天明8)年旧暦7月14日、菅江真澄は津軽海峡を渡り、蝦夷島(えぞがしま)へ。アイヌとの交易に財政の基盤をおいていた松前に上陸。
藩医・吉田一元の計らいで松前逗留を許された菅江真澄は、1789(寛政元)年4月、霊場として有名な円空仏祀られる太田山(太田権現)を目指して渡島半島西海岸の旅に出立。
目指したのが現在、日本一過酷で危険な神社といわれる太田山神社(北海道久遠郡せたな町)です。
このときの紀行が『蝦夷喧辞辯』(『えみしのさえき』)。

太田山への行き帰りに上ノ国の上國寺には20日以上も滞在しています。
(注/当時蝦夷地の日本海側は上ノ国、太平洋側は下ノ国と呼ばれていました)

菅江真澄は松前城下で4年余りを過ごし、噴火湾・有珠山の旅にも出ており、『蝦夷廼天布利』(『えぞのてぶり』)を記しています。


 

旧笹浪家住宅
名称 旧笹浪家住宅/きゅうささなみけじゅうたく
所在地 北海道檜山郡上ノ国町上ノ国236
関連HP 上ノ国町公式ホームページ
電車・バスで JR江差線上ノ国駅から徒歩30分
ドライブで 函館空港から約90km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 旧笹浪家住宅 TEL:0139-55-1165
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
 

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