友知トーチカ跡

友知トーチカ跡

北海道根室市光洋町5丁目、根室半島の中部、第二次世界大戦末期に太平洋側の友知湾沿いに構築されたトーチカのひとつが、友知トーチカ跡。西側の桂木トーチカ跡も残り、貴重な戦争遺跡になっています。イタリア料理店「ボスケット」の建つ友知海岸は訪れる人も少ない秘境的な存在です。

アメリカ軍の上陸を想定して築かれたトーチカの跡

友知トーチカ跡

トーチカ(точка)はロシア語の点(дот)を意味する言葉で、掩体壕(バンカー)の一種。
艦砲射撃や榴弾砲の直撃にも耐えうるようにコンクリートで頑丈な施設が構築されています。

サイパン島陥落を受けて昭和19年7月20日制定された「本土沿岸築城実施要綱」に基づき、「北鎮部隊」、「熊舞台」と通称された陸軍第7師団(北辺の守りを担う重要師団で、「動かざる師団」として北海道に駐屯)が築いたのが根室半島のトーチカ群。
昭和19年7月に、第32警備隊(第33警備大隊長・大山柏少佐が築城計画を立て指揮)による24基のコンクリート製トーチカを増築計画が決まっています。

根室半島には花咲港近くに根室第一飛行場(根室ワッタラウス飛行場)、半島中央部・牧の内に根室第二飛行場も築かれ、歯舞、友知(2ヶ所)、桂木(2ヶ所)、牧の内(2ヶ所)、東和田、長節(3ヶ所)、落石(4ヶ所)にトーチカが築かれ、長節の1ヶ所を除いて現存しています。

根室から計根別にかけては、北海道における決戦の地と想定され、一帯の防衛力が強化されていったのです。
友知トーチカはオンネ沼の西に位置していますが、根室半島は防備に不向きなため、いざというときには、兵力をオンネ沼西部にまで退却させ、友知トーチカを防衛ラインにしようと考えていました。

実際にアメリカ軍の上陸はありませんでしたが、敗戦直後のソ連軍の北方領土への侵攻後、北海道上陸を阻止した抑止力にはなっていたとも推測できます。

「ボスケット」の建つ北海道道35号(根室半島線)からの道はダートで、雨後はぬかるむので、道道からの徒歩、もしくは人気店「ボスケット」での食事後に探勝することをおすすめします。

友知トーチカ跡
名称 友知トーチカ跡/ともしりとーちかあと
所在地 北海道根室市光洋町5丁目
電車・バスで JR根室駅からタクシーで15分
ドライブで 根室中標津空港から約85km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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