江戸時代から明治30年代まで、江差で廻船問屋を営み松前藩きっての豪商だったのが関川家。関川家は初代・関川与左衛門が天和年間(1681年~1684年)に越後国頚城郡関川村(現在の新潟県妙高市関川)から松前城下に移って醸造業を営み、間もなく江差の姥神町に定住しました。旧関川家別荘は、8代目・関川平四郎が建てた別荘。
江差屈指の豪商・関川家の8代目が築いた別荘
関川家の2代目は家業の酒屋から事業を拡張し、鰊(ニシン)を本州に送る廻船問屋や米穀問屋、金融業、醸造業と発展させています。
関川家では最盛期3隻の北前船を保有し、本州各地との交易で事業を拡大しています。
幕末の1858(安政5)年、北前船の安全確保のため弁天島(鴎島)に灯台を設置したのも8代目・関川平四郎。
江差での回船問屋は、最盛期の1842(天保13)年の口銭(こうせん=売買の仲介をした手数料)上納額を見ると、竹屋、さつま屋、甲屋、関川屋、柴田屋がベスト5で、この5軒で全体の7割を占めています。
8代目・関川平四郎は、明治元年、戊辰戦争を恐れた松前藩が山中に築いた館城(現・厚沢部町)の築城にも貢献、勘定奉行兼作事方も勤めています。
さらに、明治維新後には、新政府に協力し、開拓使の準判仕御用達を勤め、道議会開設の提言者にもなっているのです。
江差の近世に歴史を刻んだ関川家ですが、9代目が明治30年代に江差を離れ、別荘も今では資料館として公開されています。
8代目・関川平四郎は、文人でもあり、蓼窓庵一鼎という名で俳諧でも活躍。
そんな風流人の別荘だけに1万1000平方メートルという広大な庭も素敵です。
庭園部分は「えぞだて公園」として整備されています。
母屋では、庭をながめながらのんびりくつろぐことが可能で、ボランティアから解説を受けることもできます。
旧関川家別荘 | |
名称 | 旧関川家別荘/きゅうせきかわけべっそう |
所在地 | 北海道檜山郡江差町豊川町55 |
関連HP | 江差町公式ホームページ |
電車・バスで | JR江差駅から徒歩30分 |
ドライブで | 函館空港から約80km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 旧関川家別荘 TEL:0139-52-4220 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |