北海道函館市の一角に建つのが戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争で没した土方歳三(ひじかたとしぞう)終焉の地に立つ土方歳三最期の地碑。新選組副長として近藤勇を助け、のちに幕府主戦派の参謀格として連戦しながら北上。蝦夷共和国を立国という大きな夢を掲げていましたが、明治2年に五稜郭の戦で敵弾を受け戦死しています。
終焉の地は諸説あり、若松町に最期の地碑が!
土方歳三は、明治元年10月20日、榎本武揚が軍艦8隻、2500~3000人の兵を率いて蝦夷地に渡った際、現在の茅部郡森町の鷲ノ木に「開陽丸」で上陸(榎本軍鷲ノ木上陸地跡の標柱が立っています)。
土方歳三と大島圭介の2隊に分かれて、箱館を目指し、幕末に築城されていた西洋式城郭の五稜郭を占領。
松前へ進軍して松前城(福山城)を陥落させ、残兵を江差まで追撃と当初は、手薄な新政府側の防備をついて戦況を優位に進めますが、明治2年4月9日、新政府軍が乙部に上陸を開始すると状況は悪化し、5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が開始されると、五稜郭から出て新政府軍に応戦するも、銃弾が腹部に命中し、絶命。
実は、正確な最後の場所は定かでなく、しかも降伏を最後まで拒んだため、内部暗殺説も囁かれるなど、謎が残されています。
壮絶な最期を遂げたと推定される場所、若松町に最期の地の記念碑が立てられています。
最期の地は大手町、十字街など諸説ありますが、『燃えよ剣』を書いた司馬遼太郎や多くの郷土史家などはこの一本木関門のあった若松町説(旧若松小学校跡地)を採用しているのです。
埋葬地についても、諸説あって今なお謎となっています。
土方歳三最期の地碑 | |
名称 | 土方歳三最期の地碑/ひじかたとしぞうさいごのちひ |
所在地 | 北海道函館市若松町 |
関連HP | 函館市公式観光情報サイト |
電車・バスで | JR函館駅から徒歩10分 |
ドライブで | 函館空港から約8.7km |
駐車場 | 函館駅前広場駐車場(40台/30分まで無料、以降有料) |
問い合わせ | 函館市元町観光案内所 TEL:0138-27-3333 |
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