北見神威岬灯台
「ピㇼカノカ」(アイヌ語で「美しい形」の意)の一つとして国の名勝に指定される、北オホーツクの絶景の地、北見神威岬。その先端部の標高156mの岩峰にへばりつくようにして築かれているのが北見神威岬灯台です。昭和37年12月に…
「ピㇼカノカ」(アイヌ語で「美しい形」の意)の一つとして国の名勝に指定される、北オホーツクの絶景の地、北見神威岬。その先端部の標高156mの岩峰にへばりつくようにして築かれているのが北見神威岬灯台です。昭和37年12月に…
北海道枝幸郡浜頓別町と枝幸町との境、オホーツク海に突き出した岩峰の岬。「ピㇼカノカ」(アイヌ語で「美しい形」の意)の一つとして国の名勝に指定されています。国道238号は平成11年に北オホーツクトンネルが完成して、岬をトン…
浜猿払(はまさるふつ)漁港近く、浜猿払交流センター前にある電信に関する史跡。昭和9年2月11日、北海道と樺太を海底ケーブルで結ぶ東京〜札幌〜豊原(樺太)間の長距離電話回線が完成し、樺太と電話回線が繋がっています。猿払電話…
ロシアの南下に備える最前線で警備をするために、寒さに強いとの理由で、1807(文化4)年、津軽藩士230名が宗谷に派遣されています。冬の厳しい寒さで多数の越冬死者を出し、翌1808(文化5)年には、内藤源助、梶原平馬率い…
伝承では、蛎崎慶広(かきざきよしひろ)が、1561(永禄4)年、姓を松前と改めた際に、宗谷に弁財天堂を寄進したのが始まりといいますが定かでありません。宗谷における和人の歴史は古く、1582(天正10)年、松前藩領となり、…
徳川幕府は寺院の建立を禁じていましたが、1802(享和2)年、蝦夷地全島を直轄地とした幕府は蝦夷地に5ヶ寺の建立を許可し、1804(文化元)年に有珠善光寺、様似等樹院、厚岸国泰寺の3寺が開山しています。その後、幕末に秋田…
宗谷岬から西(稚内市街方面)へ3kmほど走った第2清浜地区の海岸線に立つ石碑。1808(文化5)年4月13日、幕府から命を受けた間宮林蔵(まみやりんぞう=当時29歳)は、松前奉行支配調役・松田伝十郎とともに、宗谷から第1…
宗谷岬突端の高台に設けられた軍事史跡。明治8年の樺太・千島交換条約(樺太での日本の権益を放棄、得撫島以北の千島18島をロシアが日本に譲渡)で、宗谷海峡は国境となり防備の必要に迫られます。当時、最強と謳われたロシアのバルチ…
稚内市のノシャップ岬(野寒布岬)に建つ灯台。高さは42.7mで北海道では1番、全国でも島根県の日御崎灯台に次いで2番目の高さを誇っているノッポな灯台。海の向こうには利尻島、礼文島を眺め、宗谷岬灯台と同様にサハリン(樺太)…
宗谷岬突端の高台(標高30m)に設けられた日本の最北に位置する灯台。宗谷海峡は、ロシアと国境が接する国際海峡で、そこを航行する船の安全を守っているのです。歴史は古く、明治18年に八角形鉄造の初代宗谷岬灯台が点灯。現在の灯…
日本最北端の温泉民宿「北乃宿」のすぐ近くには、たまらん坂という不思議な場所があります。稚内市には最北端の宗谷岬と市街に近いノシャップ岬がありますが、このノシャップ岬を日本海側に回り込んだところが温泉民宿「北乃宿」のある富…
8月第1土・日曜に開催される『稚内みなと南極まつり』。「北海てっぺんおどり」と「南極おどり」の2つの踊りが北海道の最北で、『南極物語』の舞台という稚内らしいイベントです。樺太犬・タロとジロの故郷であり、観測に使われた初代…
日本で一番寒い記録、日本最寒記録を有するのが北海道幌加内町の朱鞠内湖(しゅまりないこ)。その湖畔で開かれる夏祭り。2016年は、「そばの里大使」に就任した THE TON-UP MOTORSのボーカル、道内では札幌テレビ…
2023年9月2日(土)〜9月3日(日)、北海道幌加内町で『幌加内町新そば祭り』が開催されます。昭和55年、初めてそば作付面積日本一となった北海道幌加内町。その後、日本一のそば産地、幌加内を全国ブランドにするため、長野県…
北海道、宗谷岬の先端の高台に立つ宗谷岬灯台。目下、日本国政府が管理する灯台としては日本国最北に位置する灯台です。国際海峡で日ロの国境線でもある宗谷海峡を見守る重要な灯台です。その宗谷岬灯台(非公開)が一般公開されます。
日本の最北端は、(北方領土を除けば)教科書的には宗谷岬ってことになっています。 しかし、実際の最北端は、宗谷岬ではありません。 古くは、北方交易の要衝として栄えた珊内(北海道稚内市宗谷村珊内=宗谷岬西側の海岸)の沖に浮か…