旅行雑誌や旅行代理店のパンフレットに「シリエトク、大地の果てるところ」などというかっこいいフレーズが並んでいます。
実は、これは、ウソといったら驚かれるでしょうか。
シリエトクは「地の果て」でない?
知床という地名はアイヌ語のシリエトク、「地の果て」に由来します。なんて書いてある旅行雑誌の記事などを見つけたら、その雑誌の記事もちょっと信頼できないかも知れません。
知床は、アイヌ語のシリ・エトク(sir・etok)あるいはシリ・エトコ(sir・etoko)に由来する、ここまでは間違っていません。ここからが大事な部分。シリ(sir)は、陸地・大地を表す言葉です。エトコ(etoko)は突端、つまりシリ・エトコは、直訳すれば「大地の突端」となるのです。
『萱野茂のアイヌ語辞典』によれば、シリエド(sir・etu)。シリ=陸地、エド=鼻、先、つまり陸地の先っぽ。
『北海道の地名』(山田秀三/北海道新聞社)によれば、シリ・エトコ(shir・etok)=地の突出部。「現在の啓吉湾周辺の地名、知床は国の果てではなく、モリシ・パ(国の頭)とも呼ばれていた」と補足説明されています。
むしろ知床は「大地の入口」だった!
この「モリシ・パ」(国の頭)と呼ばれていたことが実はキーワードです。
アイヌ民族は、太陽の昇る方角、東方上位の思想を有していました。
世界遺産に登録される知床半島の東半分は、羅臼町ですが、この羅臼町は北海道目梨郡(めなしぐん)羅臼町。
目梨はアイヌ語のメナシ(menas)=東方、東風。
アイヌ民族にとってのメナシ(目梨)とは、むしろ大地の入口(あるいは聖地)という意味合いが強いのです。
トビニタイ文化も「大地の入口」を立証
なぜなら知床は、アイヌ文化が花咲く以前にはオホーツク文化と呼ばれる北方系の海洋狩猟民族の文化が花開いていたのです。そこに本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とする擦文文化が交わり、知床半島や国後島では両者が融合した「トビニタイ文化」と呼ばれる過渡期の文化が生まれます。
実はこの「トビニタイ文化」のトビニタイという名前も羅臼町飛仁帯から出土した土器に由来する名前なのです。
このトビニタイ式土器も知床半島が「地の果て」ではなく、むしろ北方系の文化が流入する「大地の入口」だった証となっているのです。
先住民族の文化や思想を踏まえるならば、「地の果て」をいたずらに強調することは、世界自然遺産に登録された知床に今問われている「先住民族の歴史・文化の面からの評価」にも反します。
シマフクロウも「メナシチカフ」
たとえば、シマフクロウの和人の資料による所見の名称は、1781年の『松前志(松前廣長)』(苫小牧市博物館館長・長谷川充氏の研究による)。『松前志(松前廣長)』には「夷人(いじん=アイヌのこと)これをメナシチカフと云。メナシは東方、チカフは鳥を云。是極東の鳥と云こと也。夷人又此鳥を相尊てカムイチカフとも云ふ」と記述され、アイヌの人々はシマフクロウを神の鳥として相尊ぶとともに忌み遠ざけ、恐れ崇めると説明しています。
つまり、現在のシマフクロウと呼ぶ鳥も(コタンによる呼称の違いはあっても)当時は『極東の鳥』メナシチカフ(cikap=鳥)と称していたわけで、アイヌにとっても、知床半島を中心とする道東の鳥だったことが容易に推測できます。