世界自然遺産(Shiretoko World Heritage)に登録の知床山中に、「北海道最後の秘境」といわれたまさに秘境中の秘境があるのをご存じでしょうか? それが羅臼湖(らうすこ)です。
昭和30年代までは人跡未踏の湖だった!
昭和34年に朝日新聞の記者・本多勝一氏が羅臼を訪問。
そのとき偶然、羅臼のバスセンターの看板に「羅臼湖」という文字を見つけました。本多勝一氏は、『カナダ=エスキモー』、『ニューギニア高地人』、『アラビア遊牧民』、『アメリカ合州国』、『殺される側の論理』、『殺す側の論理』、『北海道探検記』などの著書がある朝日新聞の名物記者。 昭和34年当時は朝日新聞北海道支社に勤めていました。
羅臼のバス停で羅臼湖という耳慣れない言葉を目にした、本多勝一記者は早速羅臼山岳会や観光関係者に取材を開始。
すると、「いろんな山岳会や調査隊が近づこうとしたが失敗」 「巨大なイトウが棲む」 「マリモがある」 「ヒグマの巣」 「浮島がぷかぷか浮いている」など、奇怪な話が続出しました。 しかもなんと明大、北大、法政大、羅臼水産事業所、ウトロ山岳会などの調査隊が、ことごとく羅臼側から到達に失敗していることも判明。取材者魂に火が付きます。
知床横断道開通前は「無名湖」が通称だった!
翌、昭和35年に、本多勝一記者は羅臼側に比べればハイマツのジャングルの密度の薄いウトロ側からの探検を決行します。
ついに、9月17日に羅臼湖に到達。当時この湖は、羅臼側ではおもに羅臼湖、ウトロ側では大沼、一般的には「無名湖」と呼ばれていました。羅臼では一部の人は「チニシベツ湖」と呼んでいました。 知西別岳(1317m)の東側、知西別川の源流に位置するということからすれば、「チニシベツ湖」という名前は実に的を得ています。
羅臼湖が世に出るのは、昭和55年の知床横断道路(国道334号)の開通です。つまり、世にでてからわずかに35年というわけで、横断道入口から羅臼湖歩道という歩道(登山道)が整備された今でも、本多勝一が「北海道最後の秘境」といった雰囲気はさほど変わっていません。
入口の羅臼湖入口バス停には駐停車帯ができましたが、羅臼湖の案内板などは、少し森に入ったところに隠してあります。 「わかる人だけに来てもらえばいい」 「国立公園の特別保護地帯、世界遺産(Shiretoko World Heritage)の核心部分なので、自然保護に最大限の配慮が必要」というわけなのです。
では、羅臼湖へはどうやって到達するのか? それは、「羅臼湖へ到達する方法は?」をお読みください。 羅臼湖トレッキングMAP(詳細版)はこちら