大河の河口に立つ機会というのはあまりありません。本州では護岸工事などが進みあまり河口といった風情、雰囲気がありませんが、開拓時代とあまり変わらない雰囲気を残しているのが、十勝川の河口です。しかも河口の大津海岸まで車が入ることができ、海が穏やかな日なら河口に伸びる砂州へ立ち入ることができます。
大津海岸まで車で来れば、砂州を歩いて河口に到達

幕末の探検家・松浦武四郎が「是れ東部第一の川にして、此国の母川とし、石狩を父川とす」(『十勝日誌』)と記した大河、十勝川。
源流は、十勝岳連峰、標高2077mの十勝岳南面(上川郡新得町)、標高1620m付近。
河口は中川郡豊頃町です。
川の長さでは十勝川は北海道5位、国内11位ですが、その流域面積では北海道2位、国内6位となっています。
いかに十勝平野を潤してきたのかがわかります。
北海道の開拓は、道央では石狩川、道東では十勝川が基点となっています。
十勝川の河口の町が大津。
琵琶湖舟運の基点だった滋賀県大津市と同じ、大きな港という意味の土地で、箱館(函館)からの舟運で結ばれ(明治時代には定期航路も開設)、ここから十勝川を利用して内陸へと開拓を進めたのです。
十勝というと、江戸時代の十勝国、現在の十勝総合振興局管内で、総面積は10万831平方キロという広大さ。
実は日本の都道府県の中で7番目に大きい岐阜県に相当するサイズです。
その十勝という旧国名は、浦幌十勝川河口に位置した十勝太(とかちぶと=現・浦幌町十勝太)集落、アイヌ語の「トカプ・ウシ・イ」(tokap-us-i=乳房・ある・所)に由来します。
この「乳房・ある・所」は、十勝川の河口に乳房を思わせる丘があったのか、あるいは河口が2つに分かれ、乳が出る如く、流れが途絶えることがなかったためとも推測されていますが、いずれにしろ、河口の十勝太という集落名が、旧国名になったわけなので、かはり河口が十勝国の基点ともいえるのです。
河口近くの十勝寿町には、十勝発祥の地碑も立っています。
撮影/大石正英


【十勝風景街道】十勝開拓の基点、十勝川河口に立つ! | |
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