昭和55年6月18日、北海道上川郡比布町を走る宗谷本線の比布駅(ぴっぷえき)のホームで、ピップエレキバンのテレビCMを撮影。樹木希林(きききりん)と藤本株式会社(現・ピップ)の横矢勲(よこやいさお)会長の掛け合いが話題になり、昭和57年には臨時の鉄道弘済会売店が設置されるほどの観光客を集めました。
カニ族全盛時代の北海道を舞台に撮影が行なわれたCM

比布はアイヌ語のピピペッ(pipi-pet)」(石のごろごろしている・川)、あるいは「ピオプ」(pi-o-p)」(石の・多い・ところ)に由来する、北海道に数多いアイヌ語地名。
ピップエレキバンに冠されている「ピップ」は、もともと生理用品の商品名に付けられた名で、生き生きとした躍動感溢れる女性をイメージして、英語で「すばらしい人(物)」という意味です。
伝説の大ヒットとなるCMを制作したのは、後に「サントリーウイスキーレッド」や「エバラ焼肉のたれ」など、数々のヒットCMを手掛けたCMディレクターの佐々木隆信(ささきりゅうしん)。
樹木希林と横矢勲会長の2人が比布駅ホームに立ち、反対側のホームから撮影するシーンからCMは始まります。
「とうとうここまでやってきましたね」と樹木希林が語りかけ、横矢勲会長と握手(「ピップエレキバン」発売元の藤本は大阪が拠点)。
会長と握手した樹木希林が「何か来ないうちにおっしゃったらどう?」と促し、横矢勲会長がおもむろに「ピップ・・・」と言いかけたとたんに、急行列車が通過して画面を遮ります。
「聞こえた?」と聞く横矢勲会長に「ううん、なんにも」と樹木希林が答えるというコントのようなCMですが、このテレビCMで、比布駅と比布町は一躍全国区に。
そして昭和47年発売の「ピップエレキバン」もその名をさらに高めたのです。
「ピップエレキバン」は、比布駅でのCM以前から個性的なCMを流していましたが、前年昭和54年、頭の名前が同じ比布駅を、旅行中の大学生3人が見つけ、「ぜひ比布駅でCM」を、昭和54年に署名活動を展開したのがきっかけ。
当時の北海道は、まだ鉄道旅行全盛の時代(廃線もあまりありませんでした)で「北海道ワイド周遊券」を使い、リュックを背負った「カニ族」が闊歩していました。
そんななかで、ピップエレキバンに通じる比布駅の存在は、何か期するものがあったのでしょう。

CMの最後にふたりが目指した北比布、南比布は廃駅に

CMの撮影は梅雨のない北海道、比布駅で昭和55年6月18日。
午前中唯一の急行列車が駅を通り過ぎるのを狙って撮影、もし失敗すれば、次は夕方の急行というスリリングな撮影だったとか。
一発OKの撮影のCMは、目論見通り大ヒット。
CM放映前は月30枚程度だった入場券の販売枚数は、放映月には6936枚、翌年8月にはなんと1万4523枚売れるほどの大きな話題となりました。
その後、観光スポット化したため、昭和62年には比布町初となる喫茶店「ペペ」が開業。
平成5年には駅前に地域ふれあい館「ブンブンハウス」開業していますが、訪れる人も減少し、喫茶店「ペペ」は平成22年6月閉店。
撮影時の駅舎は、平成27年に取り壊され、平成28年に新駅舎となり、駅舎内交流スペース「ピピカフェ比布駅」が誕生しています。
平成30年、比布町は「比布町応援大使」事業をスタートさせていますが、「比布町応援大使」第1号は、ピップの代表取締役社長・松浦由治。
さらに平成31年には比布町とピップがお互いの魅力を相互に発信していく「PIP相互応援大使活動」が始まっています。
CMのラストシーンは、横矢勲会長が「僕、北比布」、樹木希林が「そんじゃあ、私は南比布だもん」と、当時両隣にあった駅を指して歩き出していくという、少しドラマチックな展開。
ふたりが目指すという設定の、北比布駅、南比布駅は、利用者減少に伴い令和3年3月13日に廃止されています。
ちなみに、新駅舎誕生の際に比布町は、ピップエレキバンのCMを模したパロディー的な動画を制作しています。
動画では、CMと同じで、樹木希林と会長に似せた町職員(会長よりもかなり若い)とのやり取りがあって、特急が通過と、エッセンスが引き継がれています。
【昭和レトロな旅】ピップエレキバンCMで、一世を風靡した比布駅の今は!? | |
名称 | 比布駅/ぴっぷえき |
所在地 | 北海道上川郡比布町西町2-6-1 |
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