きじひき高原キャンプ場
木地挽山(683m)の山腹に広がる330haの北斗市公共育成牧場。牧草地が広がるきじひき高原は、駒ヶ岳と大沼、小沼、じゅんさい沼など大小の沼、さらには函館市街、函館山、津軽海峡を箱庭のように眺める展望地。きじひき高原の函…
木地挽山(683m)の山腹に広がる330haの北斗市公共育成牧場。牧草地が広がるきじひき高原は、駒ヶ岳と大沼、小沼、じゅんさい沼など大小の沼、さらには函館市街、函館山、津軽海峡を箱庭のように眺める展望地。きじひき高原の函…
北斗市の標高683mの木地挽山の中腹に広がるきじひき高原。きじひき高原キャンプ場から2kmほど上った北杜市公共育成牧場のなかのもっとも眺望のいい場所(仁山高原上部の標高550m地点)には、駐車場完備のパノラマ眺望台があり…
正式名称は「厳律シトー会灯台の聖母トラピスト大修道院」で、北斗市三ツ石の高台に建つ厳律シトー会(トラピスト会)の修道院。明治29年にフランス人修道士ジェラル・プーリエらが仮修道院を建てたのが始まりで、日本最初の修道院とし…
姥神大神宮の創建は定かでありませんが地元の折居という名の老女(天変地異を未然に知らせる老女)を折居様と崇めたことに由来し、1447(文安4)年といわれています。つまりは北海道最古の神社。有名な『渡御祭』(8月9日〜11日…
江差の古い家並みの並ぶ旧国道1.1kmを「いにしえ街道」として整備していますがその拠点となる施設が江差町会所会館。旧江差町役場本庁舎は、北前船で繁栄する江差の町民が拠出した財源で、1845(弘化2)年に町会所(町役所)と…
江戸時代から明治30年代まで、江差で廻船問屋を営み松前藩きっての豪商だったのが関川家。関川家は初代・関川与左衛門が天和年間(1681年~1684年)に越後国頚城郡関川村(現在の新潟県妙高市関川)から松前城下に移って醸造業…
江戸時代に松前藩が交易を認めた湊は、江差、松前、箱館(函館)の3ヶ所。江差以北の産物は、明治3年に北前船が小樽まで延伸されるまで、江差に集中して集まることになり江差の湊には廻船問屋が軒を連ねました。その1軒が旧中村家住宅…
松前町にある北海道最南端の岬で、本州最北端の大間崎(下北半島)から15kmほど南に位置しています。対岸の津軽半島最北端の竜飛崎からは19.2kmで、晴れていれば本州を眺望します。国内で見ることができる野鳥500種類のうち…
明治20年11月、檜山爾志郡役所(ひやまにしぐんやくしょ)兼江差警察署庁舎として落成した道内唯一現存する郡役所の庁舎。檜山爾志郡役所は、1678(延宝6)年、江差地方に自生する檜、翌檜(アスナロ)の伐採取締番所として、檜…
北海道上ノ国町にある和人の北海道進出とともに創建された古社。1473(文明5)年、武田信広が勝山館内に館神として創建(勝山館跡に館神八幡宮として残る)。蠣崎(かきざき=後の松前)氏の祈願所で、毘沙門天王社(砂館神社)、医…
勝山舘跡の山麓に建つ上國寺は、1443(嘉吉3)年、真言宗の僧、秀延阿闍梨(しゅうえんあじゃり)創建という古刹。創建と伝えられる1443(嘉吉3)年は、津軽相内の安藤盛季が南部氏との戦いに敗れて夷島(えぞがしま=中世の北…
笹浪家は上ノ国で代々鰊漁などを営んできた旧家。初代は享保年間(1716年~1735年)に能登国珠洲郡笹波村(ささなみむら=現・石川県珠洲市笹波町)から松前福山に渡り、その後、上ノ国に移り住んだのだとか。現存する建物は、1…
北海道上ノ国町(かみのくにちょう)の国道228号沿いにある「道の駅上ノ国もんじゅ」2階のレストラン。幅19m、高さ2.7mのパノラマウィンドウから日本海を一望にし、夕日が絶景で有名。晴れた日には奥尻島まで眺望。レストラン…
上ノ国町(かみのくにちょう)の中世の天然の良港、大澗(おおま)の西、大澗ノ崎にある道の駅。国道228号は夷王山の山麓を走りますが夷王山の北麓に位置するのが道の駅上ノ国もんじゅ。1階には水産加工品や農産物を直売する物産販売…
上ノ国町の夷王山(いおうざん)山上に広がる中世の館跡、勝山館跡。館跡の周辺に白い杭が立っていますが、これは中世の山城、勝山館に暮らした和人(注/和人という言葉は18世紀末に徳川幕府が東蝦夷地を直轄した以降に見られる比較的…
夷王山山頂直下、夷王山駐車場に隣接して建つ勝山館のガイダンス施設。「上ノ国の中世の館(たて)」として北海道遺産にも登録される勝山館・夷王山墳墓群の発掘調査から、北海道の知られざる歴史が次第に明らかになってきました。発掘調…
「上ノ国の中世の館(たて)」として「北海道遺産」に登録される中世の山城。松前藩の礎を築いた武田信広(武田信廣)の館跡です。標高159.1mの夷王山(いおうざん)から北東に伸びる尾根上に、和人とアイヌが混住していたと推測さ…
北海道・上ノ国町(かみのくにちょう)の背後にそびえる山が標高159.2mの夷王山。中世の北海道は夷島(えぞがしま)と呼ばれていましたが、夷の王の山が夷王山で、山頂の直下には松前城が築かれる以前の山城、勝山館(かつやまだて…
最北の城下町・松前には、残念ながら城下町らしい町並みが残されていません。往時の雰囲気を残すのは松前城の北側(山側)に位置する寺町。松前城が福山城といわれる館(やかた)時代から、館を守る防備としての役割を担った寺院群です。…
「北の小京都」といわれる松前の寺町に建つ曹洞宗の寺で、1625(寛永2)年の創建。京から輿入れした2代藩主・松前公広(まつまえきんひろ=城下町を整備)の正室・桂姫(大納言大炊御門資賢の娘)が、亡くなった長男の冥福を祈って…
光善寺は、1575(天正3)年建立の浄土宗の寺(百万遍忍教寺の末寺)で松前城北の寺町にあります。創建当初は高山寺と名乗っていましたが、1621(元和7)年、時の後水尾天皇から高徳山光善寺の号を賜わり改称しています。藩政時…
馬の町として知られる新ひだか町にある道路で、道道111号とほぼ平行に目名から家畜改良センター新冠牧場(にいかっぷぼくじょう)まで延びています。新冠牧場の前身である御料牧場を視察する皇族の行啓道路として明治36年に造成され…
松前にある武田信広(武田信廣)を祭神とする神社。松前家は寺町の一角に松世祠を設けていましたが、明治12年、地元から武田信広を祭神とする神社の創建の願いが開拓使に出され、旧松前城北の丸を境内地として社殿を建立。つまり松前藩…
松前城の本丸にあって松前藩の政庁だったのが表御殿。表御殿は、明治維新後は明治8年に開校した松城小学校校舎として使用され、明治33年の新校舎建築にあたって撤去されました。表御殿の玄関部分のみ新築された小学校の正面玄関に再利…