昭和60年11月5日に廃止となった国鉄の手宮線(南小樽駅〜手宮駅/2.8km)。実はこの区間、官営幌内鉄道(手宮〜札幌〜幌内)の一部として明治13年11月28日に開通した線路。つまりは、北海道で最初に開通した鉄路の一部ですが、線路がそのまま保存され、その横が散策路として整備されています。
手宮線の廃線跡が遊歩道として整備され、散策に絶好
小樽市は廃止となった旧手宮線の1.6 kmを線路や遮断機などの遺構を残しながら歩きやすく舗装し、散策路として整備しています。
中央通りから寿司屋通りまでの510mの区間を平成13年度にJR北海道から購入し、オープンスペースとして確保。さらに購入整備を続け、平成28年10月に1.6kmを購入して整備しています。
線路を残し、線路と並行した遊歩道も整備されています。
夏期に開催される『おたる潮まつり』にあわせて「小樽がらす市」、小樽市の冬の代表的なイベントとなった『小樽雪あかりの路』のメーン会場として活用されています。
また、小樽市総合博物館(旧小樽交通記念館)は手宮駅跡を本館として活用し、かつて手宮線で使われていた蒸気機関車(しづか号蒸気機関車)や日本銀行の現金輸送車を展示しています。
旧手宮機関庫(鉄道車輌保存館)は国の重要文化財、旧小樽築港機関区転車台、北海道鉄道開通起点標なども現存しています。
官営幌内鉄道は、アメリカ人鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォード(Joseph ury Crawford)により、石炭輸送を目的とした手宮~幌内間を結ぶ幌内鉄道として計画され、明治13年11月28日に手宮~札幌間が開通。
北海道最初の鉄道、日本国内でも3番目の鉄道開通で、北海道開拓に大きく寄与しています。
また、日本の近代化にも貢献したとして、旧手宮線跡地は、北海道のアメリカ式鉄道関連遺産として、経済産業省の近代化産業遺産(北海道石炭)に登録されています。
開拓使は明治2年、アメリカ人技師ホーレス・ケプロン(Horace Capron)を招いて資源調査を行なった結果、幌内川(三笠幌内川)上流の炭田が有望であると認められ、ケプロンは幌内 – 室蘭間に鉄道を敷設し、室蘭港からの石炭積み出しを計画。
これに対してアメリカ人技師ベンジャミン・スミス・ライマン(Benjamin Smith Lyman)は、幌内〜幌向太(現・幌向付近)間に鉄道を敷設し、そこから石狩川を利用した舟運で小樽港へ運ぶ方が効率的だと判断します。
その結果、明治12年、アメリカから鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォードを招いて、幌内〜幌向太間の測量を開始しますが、幌向太周辺が湿原地帯であること、石狩川の冬季の結氷などを考慮して小樽まで鉄道の延長を進言します。
こうしてアメリカのH.K.ポーター社から西部劇を思わせるようなフォルムの蒸気機関車2両を輸入し、「義経」、「弁慶」と命名して北海道初の鉄道に投入します。
手宮線跡地 | |
名称 | 手宮線跡地/てみやせんあとち |
所在地 | 北海道小樽市色内1−13・14 |
関連HP | 小樽市公式ホームページ |
電車・バスで | JR小樽駅から徒歩6分 |
ドライブで | 札樽自動車道小樽ICから約3km |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 小樽市建設部まちづくり推進課 TEL:0134-32-4111/FAX:0134-32-3963 |
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