野田サトル原作、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)に連載し、単行本が累計2700万部を突破し、TVアニメ化、2024年1月には実写映画化のされた『ゴールデンカムイ』。日露戦争終結直後の北海道、樺太が舞台で、その聖地のひとつが樺戸集治監(月形樺戸博物館)です。
『ゴールデンカムイ』に登場した人物のモデルが収監
集治監(しゅうちかん)というと少し聞き慣れない言葉ですが、明治時代に設置された囚人の収容施設。
明治12年、東京・小菅に東京集治監(現・東京拘置所)、宮城・若林城跡(現・仙台市若林区)の宮城集治監(宮城刑務所の前身)に続いて、明治14年に北海道の樺戸集治監が設置されました。
北海道には石狩川沿いの樺戸集治監のほか、釧路集治監(明治15年)、釧路集治監網走分監(明治24年)が設置され、政治犯などが送られ、現在の国道の前身となる道路開削などに従事したのです。
北海道の集治監の本監としての機能を担ったのが樺戸集治監で、道北や道東では、まだまだ沿岸部に番屋がある程度の時代だったため、舟運で物資を運搬できる石狩川沿いの樺戸(現・月形町)に集治監を設置し、北海道開拓の基地としたのです。
建物も明治19年の火災後に再建された初期のものが現存、日露戦争終結直後の北海道、つまりは『ゴールデンカムイ』の時代をそのまま今に伝えているのです。
明治43年夏、15年の刑期で収監された強盗犯・大沢房次郎は、「海賊房次郎」の異名で後世に名を残した囚人。
石狩川上流の原生林を伐採し、筏(いかだ)で流し、樺戸の監獄波止場で陸揚げする際、水揚げ頭(みずあげかしら)として才能を発揮したのが、この「海賊房次郎」で、『ゴールデンカムイ』でも「俺は30分までなら潜水できる」という海賊房太郎として登場しています。
明治11年に発覚した偽札事件(藤田組贋札事件/犯人とされた熊坂長庵は一貫して冤罪を主張)で終身刑となった熊坂長庵(くまさかちょうあん/豪農の出で学校の校長まで務めた人物、明治19年に獄死)は、熊岸長庵として登場。
明治時代の強盗犯で、「稲妻小僧」、「稲妻強盗」と呼ばれた坂本慶次郎(さかもとけいじろう/明治21年に収監、明治28年外役中に脱走し関東で犯罪を繰り返し、明治32年絞首刑に)は坂本慶一郎として描かれています。
アイヌ文化や、明治の犯罪者を知る機会にもなっていて、奥がかなり深く、描写も正確な『ゴールデンカムイ』だからこそ、聖地巡礼の価値があります。
樺戸集治監では、廃止となる大正8年までに事故や病気のために1046人もの囚徒が命を落としていますが(心臓麻痺804人、衰弱死60人、逃亡などの企ての結果、看守による斬殺41人、作業中事故33人)、多くの遺族は引き取りを拒んだため、1022人が国道275号沿いの篠津囚人墓地(篠津山霊園)に埋葬されています。
熊坂長庵の墓などの墓碑も立っていますが、これは月形町の造立で往時は墓標もない草原だったとか。
ちなみに現在の町名・月形町は樺戸集治監(明治14年~大正8年)の初代典獄となった月形潔を名をとったもので、一帯に看守とその家族が移り住み、明治14年7月1日、空知支庁管内第1号の村として誕生しています。
郡役所誕生が明治15年なので、村政施行、郡役所設置前に集治監が築かれたことがわかります。
まさに北海道開拓の起点として誕生し、大正8年にその役割を終え、網走などに機能を移したのです。
『ゴールデンカムイ』で話題の樺戸集治監(月形樺戸博物館)とは!? | |
名称 | 月形樺戸博物館/つきがたかばとはくぶつかん |
所在地 | 北海道樺戸郡月形町1219 |
関連HP | 月形町公式ホームページ |
電車・バスで | JR岩見沢駅から北海道中央バス月形駅前行きで38分、月形役場下車、徒歩1分 |
ドライブで | 道央自動車道岩見沢ICから約21km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 月形樺戸博物館 TEL:0126-53-2399 |
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