啄木小公園
函館市を走る国道278号沿いの大森海岸にある公園が啄木小公園。明治40年に「石をもて追はるるごとく」、故郷・渋民(岩手県)を離れた石川啄木は、5月から函館大火に遭う9月まで、函館・青柳町に居を構えています。大森海岸は、そ…
函館市を走る国道278号沿いの大森海岸にある公園が啄木小公園。明治40年に「石をもて追はるるごとく」、故郷・渋民(岩手県)を離れた石川啄木は、5月から函館大火に遭う9月まで、函館・青柳町に居を構えています。大森海岸は、そ…
晴れた日なら、津軽海峡の先の下北半島が間近に迫る絶景地が函館山から派生する尾根の東端、海に落ちる立待岬。寛政年間には、北方警備の台場が設置され、外国船を監視する要地でもあった場所で、明治時代には函館要塞(函館山全体が要塞…
海峡の女王と称された「摩周丸」(2代目摩周丸)は、昭和40年から昭和63年までの23年間、青森〜函館間を3時間50分で結ぶ青函連絡船として就航していました。平成3年からはメモリアルシップとして函館港に係留され公開、平成1…
安政6年(1859年)、初代ロシア領事のヨシフ・ゴシケーヴィチが箱館(現・函館)のロシア領事館内に建てた聖堂をルーツとする日本最古の正教会の聖堂。文久元年(1861年)、日本への正教伝道に尽力した修道司祭ニコライによって…
函館山の西端、函館港を見下ろすひっそりとした高台にある箱館(函館)の開口の歴史を伝える墓地。墓地に葬られているのは、幕末の開港とともに来日し、日本で没した外国人たちで、1854(嘉永7)年、ペリーが箱館(現在の函館)に来…
箱館(現・函館)の基坂(もといざか)の上にあった箱館奉行所脇の八幡宮が、1804(文治元)年の奉行所拡張にともなって、この坂の上に移されたことが八幡坂の名の由来。当時は坂がもっと西に曲がっていたといいますが、明治12年の…
気象庁による常時観測対象の恵山(617.6m)は、火山活動も活発な活火山。二重式火山の火口原、標高330mまでの賽の河原駐車場までは車で進入することが可能で(夜間は通行不可)、賽の河原と呼ばれる火口原や、恵山展望台、岬展…
函館から東へ50km、太平洋と津軽海峡に挟まれた亀田半島東端の標高618.1mの活火山が恵山(えさん)。山麓の登山口にはつつじ公園があり、5月下旬〜6月初旬には60万本ともいわれるエゾヤマツツジ、ドウダンツツジが咲き誇り…
函館の東45km、太平洋と日本海の境に突き出した断崖の岬。亀田半島東端に位置する岬先端部は一巡する車道がないため、北側の椴法華(とどほっけ)側からのアプローチとなります。岬の突端には、明治23年に初点灯、昭和24年に再建…
幕府直轄領(天領)のうち重要な場所に置かれた奉行所が遠国奉行(おんごくぶぎょう)。北辺警備のために箱館(現在の函館)に1802(享和2)年に設置されたもの。箱館戦争が終結した2年後の明治4年に解体されていますが、4年間の…
松前藩戸切地陣屋跡が正式名で、幕末の1855(安政2)年、徳川幕府が松前藩に築造を命じた西洋式の城郭。五稜郭は、日米和親条約締結による箱館開港に伴い、1857(安政4)年に着工していますからこちらの方が先輩格の城となりま…
江戸時代、米を産しない蝦夷地(えぞち=北海道)で松前藩は鰊(ニシン)を「鯡」(魚に非ず)と記して、主産物として北前船で内地へと送って藩財政を支えました。それでも松前藩は、米作への探求を行ない、大野平野(現・北斗市)に水田…
北斗市街の西に位置する八郎沼を中心とした公園。明治11年、開拓使を退職して大野に移住し、明治13年頃から酪農を始めた伊予国新谷藩(愛媛県大洲市)出身の士族、山田致人が、牛の飲料用にと、池を掘って水を蓄えたのが八郎沼の始ま…
北斗市にある絶景で有名な「きじひき高原」。木地挽山(683m)の山上に広がる高原で、北斗市公共育成牧場の牧草地になっていますが、少し穴場の展望台が噴火湾展望台。北斗市市街から入山の場合は「きじひき高原パノラマ展望台」を越…
木地挽山(683m)の山腹に広がる330haの北斗市公共育成牧場。牧草地が広がるきじひき高原は、駒ヶ岳と大沼、小沼、じゅんさい沼など大小の沼、さらには函館市街、函館山、津軽海峡を箱庭のように眺める展望地。きじひき高原の函…
北斗市の標高683mの木地挽山の中腹に広がるきじひき高原。きじひき高原キャンプ場から2kmほど上った北杜市公共育成牧場のなかのもっとも眺望のいい場所(仁山高原上部の標高550m地点)には、駐車場完備のパノラマ眺望台があり…
正式名称は「厳律シトー会灯台の聖母トラピスト大修道院」で、北斗市三ツ石の高台に建つ厳律シトー会(トラピスト会)の修道院。明治29年にフランス人修道士ジェラル・プーリエらが仮修道院を建てたのが始まりで、日本最初の修道院とし…
姥神大神宮の創建は定かでありませんが地元の折居という名の老女(天変地異を未然に知らせる老女)を折居様と崇めたことに由来し、1447(文安4)年といわれています。つまりは北海道最古の神社。有名な『渡御祭』(8月9日〜11日…
江差の古い家並みの並ぶ旧国道1.1kmを「いにしえ街道」として整備していますがその拠点となる施設が江差町会所会館。旧江差町役場本庁舎は、北前船で繁栄する江差の町民が拠出した財源で、1845(弘化2)年に町会所(町役所)と…
江戸時代から明治30年代まで、江差で廻船問屋を営み松前藩きっての豪商だったのが関川家。関川家は初代・関川与左衛門が天和年間(1681年~1684年)に越後国頚城郡関川村(現在の新潟県妙高市関川)から松前城下に移って醸造業…
江戸時代に松前藩が交易を認めた湊は、江差、松前、箱館(函館)の3ヶ所。江差以北の産物は、明治3年に北前船が小樽まで延伸されるまで、江差に集中して集まることになり江差の湊には廻船問屋が軒を連ねました。その1軒が旧中村家住宅…
松前町にある北海道最南端の岬で、本州最北端の大間崎(下北半島)から15kmほど南に位置しています。対岸の津軽半島最北端の竜飛崎からは19.2kmで、晴れていれば本州を眺望します。国内で見ることができる野鳥500種類のうち…
明治20年11月、檜山爾志郡役所(ひやまにしぐんやくしょ)兼江差警察署庁舎として落成した道内唯一現存する郡役所の庁舎。檜山爾志郡役所は、1678(延宝6)年、江差地方に自生する檜、翌檜(アスナロ)の伐採取締番所として、檜…
北海道上ノ国町にある和人の北海道進出とともに創建された古社。1473(文明5)年、武田信広が勝山館内に館神として創建(勝山館跡に館神八幡宮として残る)。蠣崎(かきざき=後の松前)氏の祈願所で、毘沙門天王社(砂館神社)、医…