札幌・羊ヶ丘公園にある有名なクラーク博士の像。「Boys, be ambitious !」(青年よ大志を抱け)の名言で知られるクラーク博士ですが、その言葉が生まれたのは、退任時に当時の札幌本道で函館へと向かう途中、島牧駅逓(現・北広島市)において。その場所は、旧島松駅逓所として残され、国の史跡になっています。
「青年よ大志を抱け、この老人のように」が実際の言葉
札幌農学校(現北海道大学)初代教頭のウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)博士は、9ヶ月の任期を終えて帰米する明治10年4月16日、島松駅逓所(明治6年、札幌本道に開設、初代取扱人は勇払場所総支配人・山田文右衛門)で見送りに来た学生たちとの別れの際、「Boys, be ambitious !」(青年よ大志を抱け)と発したと伝えられています。
クラーク博士が発した言葉に関して信頼できる最古の記録が、明治27年、予科生徒・安東幾三郎(後の日伯拓植取締役)が札幌農学校の学芸会機関誌『恵林』に掲載した「ウイリアム・エス・クラーク」で、それによると「暫くにして彼悠々として再び馬に跨り、学生を顧みて叫んで日く、『小供等よ、此老人の如く大望にあれ』 (Boys, be ambitious like this old man)と。一鞭を加へ塵埃を蹴て去りぬ」とあるので、正しくは「Boys, be ambitious like this old man」だったろうことが想像できます。
「青年よ大志を抱け」の後には、「この老人のように」が続いていたのです。
札幌本道で帰国した博士が札幌〜小樽の鉄道を提案!?
駅逓(えきてい)は、交通が不便な地に駅舎と人馬を備えて旅人に宿泊と運送の便をはかるために設置された宿駅で、街道の整っていなかった北海道に造られた独自のもの。
札幌本道は、西洋式の馬車道として開拓使が建設。
札幌・豊平橋〜室蘭港は陸路、室蘭港〜森桟橋が海路、森桟橋〜函館は再び陸路で札幌〜函館を結び明治6年6月に完成し、同時に通行者の便宜を図る駅逓も設置されています。
お雇い外国人のホーレス・ケプロンが提案した幅14.5mの道路で、厚さ36cmという当時としては破格に砂利を敷いた「マカダム道路」でした。
クラーク博士は帰国時に完成から4年後の札幌本道を使っていますが、後に開拓使に宛てた書簡で「無駄な道路」だと批判し、札幌〜小樽間の道路を改修して鉄道を敷設することを提言し、明治13年に札幌〜手宮に鉄道が開通しています。
旧島松駅逓所脇には、マサチューセッツ農科大学学長から札幌農学校に招かれたクラーク博士を記念するクラーク碑が立っています。
旧島松駅逓所は、往時の駅逓所の構造を残す建築物としては道内最古のもので、国の史跡にもなっています。
新千歳空港〜札幌は、空港でレンタカーを借りた人も高速道路で移動する人がほとんどのため、「青年よ大志を抱け」の旧島松駅逓所は比較的に無名の存在になっていますが、北海道開拓の歴史を今に伝える貴重な場所でもあるので、機会があればぜひ訪問を。
その時歴史は動いた! 格言・名言の誕生地(1)青年よ大志を抱け | |
所在地 | 北海道北広島市島松 |
場所 | 旧島松駅逓所/きゅうしままつえきていしょ |
電車・バスで | JR恵み野駅からタクシーで5分 |
ドライブで | 道央自動車道輪厚スマートICから約6km |
駐車場 | 7台/無料 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |