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近藤重蔵道路開削記念碑

近藤重蔵道路開削記念碑

北海道広尾町の海岸線を走る国道336号(黄金道路)途中のルベシベツに立つ江戸時代の道路開削を記念して立てられた石碑が近藤重蔵道路開削記念碑。当時、急峻な日高山地に阻まれて、十勝と襟裳・日高を結ぶ満足な道路がなく、近藤重蔵が現在の広尾町ルベシベツとビタタヌンケ間のルベシベツ山道を開削したことが北海道で最初の道路開削となっています。

北海道で和人が開削した初の道路

寛政10年(1798年)、徳川幕府はロシアの南下政策に対抗するため、蝦夷地(えぞち=現在の北海道)に総勢180名の大調査団を派遣。
この調査に参加した近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)は、エトロフヘ渡っての帰途、広尾で風雨に見舞まわれ立ち往生となりました。
天気の平穏な日でも、崖を登下降し、波静かなときに岩礁伝いに、辛うじて通行できる状態の交易路しかなかったことを見かねて、道路案内に立った最上徳内の意見を採用し、従者・水戸藩士で漢学者の木村謙次、通詞、アイヌの人々68人とともに山道を開削したのです。
そこで従者数名とアイヌの人たちを使ってルベシベツから南のビタタヌンケ(現・えりも町との境界、えりも町は目黒地区)の間、3里(11.8km)の山道を開削。
これが蝦夷地における最初の道路開削で、起点となったルベシベツに重蔵隧道と名付けられた旧トンネルがあり、その横に黄金道路の完成時(昭和9年)に建てられた、山道開削の記念碑が立っています。
ちなみにルベシベツは、アイヌ語のルペペッシ(ru-pes-pet=道が・下る・川、峠道の川)の意。
アイヌも険しい海岸部を避け、ルベシベツ川沿いに山を越えて交易していたのだと推測できます。

黄金道路周辺には、もうひとつ、豊似湖近くを通る猿留山道があり、こちらは往時の古道が歩けるまでに復活しています(登山の装備が必要、最新の情報を入手してからの入山を)。

昭和9年開通の黄金道路はトンネルと覆道で断崖を克服
近藤重蔵道路開削記念碑
名称 近藤重蔵道路開削記念碑/こんどうじゅうぞうどうろかいさくきねんひ
所在地 北海道広尾郡広尾町ルベシベツ
ドライブで とかち帯広空港から約67km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 広尾町水産商工観光課商工観光係 TEL:01558-2-0177
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

襟裳岬

北海道幌泉郡えりも町、標高2052mの幌尻岳を中心に、南北に連なる日高山脈が太平洋に落ち込んだ岬が襟裳岬(えりもみさき)です。60mの断崖上に建つ襟裳岬灯台から、馬の背状の尾根が続き、さらに沖合約7kmまで、岩礁がのびています。岬には、強風

黄金道路展望台(望洋台)

国道336号のえりも町の庶野から広尾までの31.7kmが黄金道路。道路の起源は寛政10年(1798年)ともいわれその建設費の多さに「黄金を敷き詰めるくらいに資金がかかった」ということから黄金道路と呼ばれています。日高山脈襟裳国定公園内の断崖

えりも黄金トンネル

国道336号線のえりも町庶野地区〜広尾町の31.7kmが黄金道路。昭和9年の開通時には海岸沿いを覆道などで克服していましたが、現在は道路改良が進み、多くのトンネルが築かれています。えりも町にあるえりも黄金トンネルは、平成23年に完成。延長4

豊似湖

北海道えりも町。襟裳岬の北側、日高山脈の森のなかにひそむ北海道屈指の秘湖が豊似湖(とよにこ)。上空から眺めると、ハート型をしているユニークな形の湖で、エメラルド色の湖水をたたえています。アイヌの人々には、「カムイトウ」(kamuy-to=神

フンベの滝

北海道広尾郡広尾町、国道336号(黄金道路)の広尾橋から襟裳岬(えりも町)方面に少し走ったフンベ地区の海岸に落ちる滝がフンベの滝。フンベとはアイヌ語のフンペ(humpe)で、クジラの意(フンと音を出すもの)。つまり海流の影響でこのあたりには

百人浜

北海道えりも町、襟裳岬(えりも)から庶野(しょや)まで続く15kmの砂浜。百人浜のバス停前にある一石一字塔は、江戸時代に南部藩の御用船が難破し、この浜で息絶えた100人の乗組員の供養塔。これが百人浜の名の由来となっています。その横には悲しい

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