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勝山館跡

「上ノ国の中世の館(たて)」として「北海道遺産」に登録される中世の山城。松前藩の礎を築いた武田信広(武田信廣)の館跡です。標高159.1mの夷王山(いおうざん)から北東に伸びる尾根上に、和人とアイヌが混住していたと推測される館が築かれ、「続日本100名城」に選定。山頂部分には武田信広も埋葬されたという墳墓群もあります。

武田信広が夷王山の山上に築いた中世の館跡

武田信広(武田信廣)は、1454(享徳3)年、南部大畑(現・青森県大畑町)から夷島(えぞがしま=北海道)に渡り、上之国の領主である蠣崎季繁(かきざきすえしげ)の居館・花沢館(はなざわたて=山麓の天の川河口)に暮らします。

1457(康正3・長禄元)年、和人とアイヌの間で勃発したコシャマインの戦いでは、道南十二館(どうなんじゅうにたて)のうち十館が陥落する激戦でしたが客将である武田信広の奮戦で辛くも勝利(七重浜で武田信広がコシャマイン父子を射る)。

武田信広は、蠣崎季繁の家督を継ぎ、1473(文明5)年頃に夷王山の山上に勝山館を築城しています。
勝山館跡の発掘調査では約5万点にのぼる装身具、中国製の白磁、金属製品、木製品などが出土。

建造物の跡も多数発掘されています。
アイヌの人々が使っていた骨角器も出土し、墳墓のかたちの違いなどから200戸以上の和人とアイヌ民族が中世の山城に混住していたと考えられています。

勝山館MAP
 
道南十二館
渡島半島にあった渡党(わたりとう=渡島半島の豪族)領主の館の総称が道南十二館。
下国氏(大館/松前町)、今井氏(覃部館・およべたて)/松前町)、小林氏(志苔館・しのりだて/函館市)、河野氏(宇須岸館・うすけしだて/函館市)、下国氏(茂別館・もべつだて/北斗市)、佐藤氏(中野館/木古内町)、南条氏(脇本館/知内町)、菰土氏(隠内館・おんないだて/福島町)、近藤氏(禰保田館・ねぼただて/松前町)、岡辺氏(原口館/松前町)、厚谷氏(比石館・ひいしだて/上ノ国町)、蠣崎氏(花沢館/上ノ国町)。

このうち志苔館、茂別館、大館、花沢館は国の史跡です。

勝山館の遺跡を海を眼下に散策

発掘調査中の遺跡

武田信広の子、蠣崎光広は1514(永正11)年、大館(現・松前)に本拠を移し、信広から数えて5代目の蠣崎慶広(松前慶広=松前藩初代藩主)のときに、豊臣秀吉から朱印状、徳川家康から黒印状を受けて、蝦夷地における交易の独占権を認めらています。

その後、松前氏として明治維新まで代々にわたって松前藩主を務めています。
つまり日本海交易の適地を眼下にする勝山館は、松前藩の出発点ということになるのです。

発掘調査から勝山館も関ヶ原の合戦(1600年)頃までは使われていたことが判明しています。

夷王山の山頂直下の駐車場横には「上ノ国勝山館跡ガイダンス施設」も造られ、駐車場を起点に夷王山墳墓群、館神八幡宮、客殿跡、櫓跡、屋敷跡、鍛冶作業場跡、大手空堀、荒神堂跡などを経て、山麓の上ノ國八幡宮・上國寺まで下る散策路も整備されています(散策路は下り40分・上り1時間)。

散策路途中に、遺跡が続いているので、なるべくなら散策するのがおすすめです。

 

勝山館跡
名称 勝山館跡/かつやまたてあと
所在地 北海道檜山郡上ノ国町勝山
関連HP 上ノ国町公式ホームページ
電車・バスで JR江差線上ノ国駅からタクシーで10分
ドライブで 函館空港から約91km
駐車場 25台/無料
問い合わせ 上ノ国勝山館跡ガイダンス施設 TEL:0139-55-2400
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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