小樽・余市周辺にはなんと80もの環状列石(ストーンサークル)があります。看板が出ているものがほとんどないのですが、最大規模の忍路環状列石(おしょろかんじょうれっせき)は、カーナビの地図にも出ています。実は、この忍路環状列石が日本の考古学史上初めて学会に報告されたストーンサークルなんです!
明治19年に『人類学会報告』に発表
小樽市の中心から西に約15kmほどの三笠山の麓、忍路2丁目の標高20mほどの台地に長径33m、短径22mの楕円形に大小の石が配置されているのが忍路環状列石。
サークルは2~3mの幅に高さ10~20cmの小石を環状に重ね置き、その内側に高さ100~200cmの大石が置かれており、今から3500年ほど前の縄文時代後期の遺跡と推測されています。
忍路環状列石自体の発見は江戸時代に遡り、文久元年(1861年)のこと。
明治15年頃、札幌農学校の第一期生・田内捨六が発掘調査が発掘調査を行ない、明治19年、渡瀬荘三郎(庄三郎)氏が忍路環状列石を『人類学会報告』(第1巻1号)に発表。これが日本の考古学史上において初めて学会にて報告されたストーンサークルです。
昭和36年には国の史跡にもなっています。
道南・道央の縄文文化に注目!
北海道の人でも、北海道に栄えた縄文文化を知る人はあまり多くありません。
しかし、道南エリアは、噴火湾沿岸を始め、縄文遺跡が数多く残され、ひょっとすると縄文時代の日本列島の中心的な地だったとさえ思えるほどです。
忍路環状列石北側に隣接する忍路土場遺跡からは、土器などのほかに木製品、漆製品なども出土し、豊かな縄文人の生活が想像されています。さらに忍路環状列石の西、1kmのところにある地鎮山(標高50m)の山頂にはやはり縄文時代後期の地鎮山環状列石(じちんやまかんじょうれっせき)が発見され、縄文時代後期の墓の一種と推測されています。
では、このストーンサークルは何の目的でつくられたかといえば、これがいまだに未解明なのです。
集団墓地であるとか、天測に用いるための立石祭場であるとかいろいろな説がありますが、忍路土場遺跡から発掘された巨大木柱とともに祭祀的な遺物と推測されています。
このストーンサークルへのアプローチですが、小樽の高台を結ぶ広域農道沿いにあります。取材班は小樽市街をパスして、新千歳から積丹や余市方面に向かうときに、この広域農道を抜け道として利用しています。
忍路環状列石は、広域農道沿いではありますが、すぐ脇までダートの道が延びています。駐車場はなく、対向車とすれ違うことができない道なのですが、あまり見学者もいないので、とくに問題にはならないようです
(取材時には2台の来訪者があり、バックを余儀なくされましたが)。
忍路環状列石 | |
名称 | 忍路環状列石/おしょろかんじょうれっせき |
営業時間 | 見学自由 |
所在地 | 北海道小樽市忍路2丁目 |
関連HP | 小樽市公式ホームページ |
電車・バスで | JR蘭島駅から徒歩20分 |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 小樽市総合博物館 TEL:0134-33-2523 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |