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ウサクマイC遺跡見学コース

さけの里ふれあい広場周辺の千歳川上流部では、サケやマスの自然産卵が今も確認されています。立ち入り禁止となっている内別川(ナイベツ川)は尾根を挟んだ北側の谷ですが、一帯に広がるのが国指定のウサクマイ遺跡群。縄文時代早期から人が住み始め、続縄文、擦文文化(さつもんぶんか)、アイヌ文化期までの遺跡が残されています。

擦文時代の竪穴住居跡が凹地となって現存!

ウサクマイC遺跡見学コース入口

内別川流域の20ヶ所の遺跡を囲む地域と千歳川右岸のウサクマイC遺跡の合計146haが史跡として保護されていますが、唯一見学できるのが、さけの里ふれあい広場と千歳川に架かる第一烏柵舞橋の間に入口があるウサクマイC遺跡見学コース。

入口に解説板が設置されているほか、竪穴住居跡の凹みには「住居跡」の表示が配されているのでそれを確認しながら森の中を歩く仕組み(ヒグマの出没に留意を)。

C遺跡には合計79の擦文時代(1000年〜500年前)の竪穴住居跡が確認されています。

擦文文化とは!?
7世紀頃〜13世紀頃(本州では飛鳥時代から鎌倉時代後半)に北海道で栄えた文化。
本州の古墳文化、土師器(はじき)の影響を受けた擦文式(さつもんしき)土器を使用したことが特長です。
9世紀ころまでは、オホーツク海側では、擦文文化と並行してオホーツク文化が花開き、さらにオホーツク文化と擦文文化が知床半島で融合してトビニタイ文化が生まれています。

一帯はアイヌの鮭の捕獲場所

この地で釣った魚を干した場所があったことからも、豊かな自然の恵みが推測できます。

見学コース内には ニレやカラマツの巨木もあり、なかには地元で「トトロの木」と呼ばれるハルニレの大木も。

朝夕はクマの出没に留意を。

ちなみにウサクマイ(烏柵舞)という地名は、アイヌ語のオ・サ・クマ・ナイ(o-sat-kuma-nay=川尻・乾かす・棚・川)の意。
千歳川に鮭が遡上し、秋には、あたり一帯で鮭を乾す光景が見られました。

アイヌは、ウライ(uray=口を上流に向けて仕掛ける)という梁(やな)で、産卵後の脂が少ない鮭(北海道でいうホッチャレ=脂焼けしないので乾燥に最適)を大量に捕獲、乾燥させてストック。
イチャン(ican=サケ・マスの産卵場)で捕獲する鮭とあわせて、活用していました。

アイヌ民話『キツネのチャランケ』の舞台
支笏湖の近く、ウサクマイのコタンに住む一人のアイヌは、若い時から、シカやヒグマがたくさんいる高い山で獲物を捕獲し、村人に分けていました。
ウサクマイには、水のきれいな川が流れ、秋には鮭が上るので、遠くビラトリ(平取)のコタンからも多くのアイヌがやって来ました。

公明正大アイヌの古老は、彫刻を彫って余生を送っていました。

ある夜、夜なべ仕事を終えて、布団に入ると、遠くの方から人の話し声が聞こえます。
その声をたどって川の方へ行くと、1匹のキツネがアイヌに向かってチャランケ(談判)していることがわかりました。
「石狩川の河口を司るピピリノエグル(男の神〉とピピリノエマッ(女の神)というふたりの神様は、人間とクマやキツネに分け与える鮭の数をちゃんと決めている。それなのに、今日の昼、自分が1匹の鮭を川で獲っていると、アイヌに悪口を言われた。アイヌが住む土地にわれわれキツネが住めないようにと神様に告げ口をしたので、ひょっとすると、神様はキツネをこの土地から追い出し、不毛の土地に追いやるかもしれない・・・」
そんな風に、キツネはチャランケ(談判)していたのです。

公明正大な古老は、キツネに悪口をいったアイヌを諌(いさ)めて、ヤナギの木を削ってイナウ(アイヌの祭具)をつくり、キツネの神様(アイヌは、神となった動物は言葉を喋ると考えていました)に丁寧にお詫びしました。

自然と共存し、必要最低限の量だけを自然からいただくというアイヌの素晴らしい教えを今に伝える民話となっています。

鮭の遡上

 
ウサクマイC遺跡見学コース
名称 ウサクマイC遺跡見学コース/うさくまいしーいせきけんがくこーす
所在地 北海道千歳市蘭越
関連HP 千歳市公式ホームページ
ドライブで 道央自動車道千歳ICから約9km
駐車場 20台(第一烏柵舞(ウサクマイ)橋東たもと)を利用/さけの里ふれあい広場も利用可能
問い合わせ 千歳市教育委員会教育部埋蔵文化財センター文化財調査係 TEL:0123-24-4210
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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