大雪山系石狩岳の西斜面を源流に、石狩灯台の建ち、はまなすの丘公園が整備される石狩湾の河口まで、上川盆地、石狩平野を流れる北海道随一の長大な河川が石狩川。幹川流路延長は268kmで、信濃川、利根川に次いで日本第3位、流域面積1万4330平方キロは利根川に次いで第2位の規模で、日本三大河川、北海道遺産にもなっています。
北海道の開拓にも活用された大河
石狩川の名はアイヌ語のイシカラペッ(is-kar-pet=美しく・作る・川)、あるいはイシカラアペッ(i-sikar-a-pet=それを・回流する・川)に由来すると推測されています。
イシカラペッ(美しく・作る・川)は、国造りの神が親指で大地を画し、川をつくったという神話に由来するもの。
イシカラアペッ(それを・回流する・川)は、河口周辺の川筋がもっとも屈曲するという地形に由来するもの。
どちらが由来なのかは定かでありませんが、河口部で屈曲しているのは、流出する土砂と日本海からの強風や沿岸流で砂嘴が成長するから。
明治25年に石狩灯台が建設されたときには河口部分にあった灯台ですが、現在では1kmも内陸側にあり、100年で砂嘴が1kmも発達したことになります。
北海道の開拓は沿岸から始まり、内陸への進出は、当初は石狩川、十勝川、釧路川など大河の舟運を利用しました。
明治2年に開拓使が設置されると、石狩川流域の開発が始まり、明治14年9月3日には、石狩川を遡った須部都地方のシベツ太(シベツ川が石狩川に合流する地)に樺戸集治監を開庁(明治14の札幌の人口は9000人です)。
西南戦争(明治10年)で捕縛された不平士族、加波山事件・秩父事件(明治17年)の政治犯(刑期12年以上の重罪犯)などを収容し、過酷な開墾、道路開削などに就労させたのです。
多くの犠牲者を生みながらも集治監を中心に、石狩川中流の開発が進みました(樺戸集治監の建つ場所は、初代典獄・月形潔の名を採って月形村になりました/現在は月形町に、樺戸集治監は月形樺戸博物館になっています)。
石狩川の源流は、石狩岳西面の石狩沢ですが、標高1540mで滝となって合流する沢が、通称「石狩岳直登沢」です。
残念ながら一般向けの登山道ではなく、沢登りのエキスパート向けのルートです。
石狩川本川最上流部の上川町層雲峡には大雪ダムが築かれ、大雪湖(たいせつこ)に水を湛えています。
大雪湖は、アメマスやオショロコマ、ニジマス釣りのメッカとしても有名ですが、周辺は大雪山国立公園に指定されるヒグマの出没する原始境です。
石狩川源流(石狩岳西面・標高1540m地点)
大雪ダム・大雪湖
石狩川河口・石狩灯台
石狩川 | |
名称 | 石狩川/いしかりがわ |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |