「北の小京都」といわれる松前の寺町に建つ曹洞宗の寺で、1625(寛永2)年の創建。京から輿入れした2代藩主・松前公広(まつまえきんひろ=城下町を整備)の正室・桂姫(大納言大炊御門資賢の娘)が、亡くなった長男の冥福を祈って建立した寺で、寺名も長男の戒名に由来しています。
本堂、庫裏、惣門、鐘楼、土蔵は国の重文
松前藩には京の公家から6人が輿入れしていますがその最初が桂姫で、その意味で龍雲院は、松前の京風文化輸入のルーツ。
明治維新の際の箱館戦争では運良く戦禍をまぬがれ、本堂、庫裏、惣門、鐘楼、土蔵など江戸時代のままの伽藍(がらん)を残す貴重な寺院となっています。
柏崎の大工によって建築された本堂、そして地元の大工によって建てられた庫裏(くり)は1842(天保13)年の建築で、国の重要文化財。
素敵な鐘楼は1846(弘化3)年築のもので、1851(嘉永4)年築の惣門、1846(弘化3)年以前の築と推測される土蔵とともに国の重要文化財に指定されています。
松前藩は奥羽越列藩同盟に属していましたが、東北諸藩が新政府に対して降伏すると、いち早く新政府軍に寝返っています。
そのため福山城(松前城)は、新選組副長だった土方歳三(ひじかたとしぞう)を総督とする旧幕府軍の攻撃を受けることに。
軍備も旧式で、幕府所有の軍艦「蟠竜丸」(ばんりゅうまる=ビクトリア女王から江戸幕府に贈呈、徳川慶喜を駿府につかわれた船)、軍艦「回天丸」(蒸気船)などからの砲撃もあってあっけなく落城。
その際、松前藩は城下に火を放って逃走。
寺町の各寺にも火を放つことを強要しましたが、一部の住職はこれを受け流し、火を放つのを自重。
現在、貴重な往時の建物が残る寺は、放火を自重した寺ということになるのです。
龍雲院は明治8年奉納の北前船の絵馬も所蔵。
龍雲院 | |
名称 | 龍雲院/りゅううんいん |
所在地 | 北海道松前郡松前町松城305 |
関連HP | 松前町公式ホームページ |
電車・バスで | JR木古内駅から函館バス松前バスターミナル行きで1時間29分、松城下車、徒歩7分 |
ドライブで | 函館空港から約106km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 龍雲院 TEL:0139-42-2449 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |