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オムサロ遺跡公園

紋別市にあるオムサロ原生花園から国道反対側の道に入り、海跡湖である瓢箪沼西の高台に広がる史跡がオムサロ遺跡公園。入口の駐車場から散策路が整備され、擦文(さつもん)時代の住居3棟と住居跡が復元展示されています。凹地となった竪穴住居跡などを自由に見学が可能です。

擦文時代の村を再現しアイヌ民族の食用植物などを植栽

オムサロ遺跡公園園内図
擦文文化の復元住居(第27号住居跡)
アイヌ時代の高床式倉庫(復元)

オムサロ遺跡から出土した土器や道具は、公園入口にある簡易展示室で見学できるほか、ここを管理する紋別市立博物館でも展示解説されています。

このオムサロ台地上には縄文時代早期(約1万年前〜)から続縄文時代(約2000年前〜)、オホーツク文化時代(約1500年前〜)、擦文時代(約1300年前〜)、アイヌ時代(約700年前〜)と約1万年に及ぶ人々の暮らしが刻まれているのです。

竪穴式住居跡はA遺跡(住居跡60)、B遺跡(住居跡57)、c遺跡(住居跡91)に分かれ、確認されただけで208軒。
なかには樺太(サハリン)から流氷の海を渡ってやってきたと推測される北方民族の遺跡もあります。

公園化されているのはC遺跡の一部で、公園内に縄文文化時代の住居跡1、オホーツク文化期1、擦文文化期33が残されています。

擦文文化時代の住居跡は、カマドのある四角い形の穴が特長。

園路沿いにはアイヌ民族が食用としていたカタクリ(アイヌ語でエシケリムリム)やオオウバユリ(鱗茎にデンプンを多く含みトゥレプの名で食用にされた)などが植栽されています。

擦文時代の復元住居
内部も方形になっています
北海道独特の擦文文化(さつもんぶんか)とは!?
擦文文化は、続縄文文化が本州の古墳文化の影響を受けて設立したアイヌ文化直前の文化で、かまどを持つ方形の住居に住んだことから、住居跡は方形に凹地となっています。

使われるのも石器ではなく、鉄器が主体です。

北海道では寒冷で稲作ができないため、弥生文化は生まれず、擦文時代にもエゾジカ猟、サケ・マス漁、トドなどの海獣を捕獲したり、山菜を採取したりと、近世のアイヌ文化に近い生活を営んでいました。

さらに、アワ、シソ、大麦、ソバ、モロコシ、緑豆などを栽培していたこともわかっています。

擦文文化の住居跡は四角い凹地

 
オムサロ遺跡公園
名称 オムサロ遺跡公園/おむさろいせきこうえん
所在地 北海道紋別市渚滑町川向153
関連HP 紋別市公式ホームページ
ドライブで オホーツク紋別空港から約15km。女満別空港から約117km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 紋別市立博物館 TEL:0158-23-4236
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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2020.06.12
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