「アンパン道路」道路と聞いて何を想像するでしょう。2025年のNHK連続テレビ小説『あんぱん』のモデルやなせたかしと、『アンパンマン』でしょうか? この道路があるのは北海道札幌市豊平区の住宅街。道路脇には数多くの「アンパン道路」の表示もあり、なにやら道路名も強調された雰囲気なのです。
道路名のルーツは、明治末の道路開削時まで遡る
年配の人に「アンパン」というと、かつて社会問題化したシンナー吸引を思い出す人も。
ビニール袋でシンナーを気化させて吸う姿が袋に入ったアンパンを 食べる姿に似ていたから付いた俗称ですが、「アンパン道路」は、このシンナー遊びとはまったく無縁の地名です。
だからといってアンパンを名物にするパン屋があるわけでもありません。
「アンパン道路」は、国道36号(月寒通)と国道453号(平岸通)を結ぶ連絡道ですが、誕生の由来も月寒と平岸を結ぶ道路として開通したという歴史があります。
歴史を紐解くと、明治4年、岩手県人44戸144名が月寒に入植し、月寒村が開村。
同年、仙台藩重臣の水沢城主・留守氏(伊達氏一門)家中202名が水沢(現・岩手県奥州市)から平岸に入り、平岸村が開村、りんご栽培などを手掛け、りんごの一大産地となります。
明治35年には豊平村、月寒村、平岸村の3村が合併し、豊平村に(明治41年、町制施行で豊平町に)。
明治43年、旧豊平村が、札幌区に編入され、札幌区豊平町となったことを受け、豊平町役場は豊平地区から月寒地区に移転しますが、月寒と平岸を結ぶ道路がなく、旧平岸村の住民にとって、月寒と結ぶ道路は開通念願の道路となったのです。
当時月寒には、陸軍第7師団歩兵第25連隊が駐留。
豊平町は、陸軍第7師団に道路開削を要請し、平岸と月寒を結ぶ全長2.6kmの道路が開削されたのです。
豊平町は、道路工事に従事した兵士に「月寒あんぱん」を配給。
明治7年、陸軍歩兵第25連隊内で菓子販売を行なっていた大沼甚三郎が考案したあんぱんで(当時、東京で銀座・木村屋のあんぱんが大流行、その噂を耳にして想像力で開発)、明治末にはすでに地元の名物になっていました。
ただし現在普及しているあん入りパンとは大きく異なり、中華菓子の月餅(げっぺい)に近い、日持ちのする(製造から1ヶ月程度)半生菓子です(パンというよりも饅頭)。
この配給された「月寒あんぱん」からアンパン道路という通称名が生まれ、それがいつしか定着したのです。
地元の明治39年創業の老舗「月寒あんぱん本舗ほんま」では「月寒あんぱん」を販売、その歴史と伝統を後世に伝えています。
札幌にある謎の道路「アンパン道路」とは!? 奇怪な名はそのルーツに由来! | |
所在地 | 北海道札幌市豊平区平岸〜月寒中央通 |
場所 | アンパン道路 |
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