北方領土館

北方領土館

標津町を走る国道244号(野付国道)沿いの標津港を背にして建つのが北方領土館。北方領土復帰期成同盟が建設し、昭和54年12月3日にオープンしたミュージアムで、北方領土の歴史、動植物、産業と生活、返還要求運動の歩み、ビザなし交流の歴史などが紹介されているほか、2階の港側には展望室が設けられています。

日本固有の領土、国後島を眼前にする標津町の博物館、展望塔

標津町にも国後島(くなりしとう)、択捉島(えとろふとう)を中心に、北方領土の元居住者が移住しています。
標津町から国後島はわずかに24kmということで、江戸時代には北方の島々への交易や、漁業基地として標津は機能していました。

寛政11年(1799年)には野付半島に野付通行屋が設けられ、国後島へ渡る拠点になっています。

文化8年(1811年)、ロシアの軍艦ディアナ号艦長のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴローニンが国後島で松前藩に捕縛された際も、最初に連行されたのが標津。
さらに陸路で松前城下へと護送されます。
これがゴローニン事件の始まりで、ゴローニンの著した『日本幽囚記』によれば拿捕されたのは1811年6月4日で、2年3ヶ月間松前に抑留されています。

高田屋嘉兵衛の尽力により、事件解決が図られますが、当時、根室場所を請け負っていたのが高田屋嘉兵衛です。

逆に、文化9年(1812年)、高田屋嘉兵衛は、標津沖の野付水道でロシア艦に捕えられ、カムチャッカに抑留されてしまいます。

幕末には会津陣屋が設けられロシアの南下を会津藩が警戒しています。
そんな、歴史を秘める標津町だからこそ、北方領土館にも重みがあるのです。

【知られざる北海道】vol.13 野付半島先端にあった「幻の町・キラク」

2016.10.05

北方領土館

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