上ノ國八幡宮

北海道上ノ国町にある和人の北海道進出とともに創建された古社。1473(文明5)年、武田信広が勝山館内に館神として創建(勝山館跡に館神八幡宮として残る)。蠣崎(かきざき=後の松前)氏の祈願所で、毘沙門天王社(砂館神社)、医王山社(夷王山神社)とともに、上ノ国三社といわれ、松前藩主は一代一度の「三社詣」を行なっていました。

狛犬は、北前船で運ばれた福井の笏谷石

本殿は1699(元禄12)年建立で、北海道内に現存する神社建築では最古。

明治9年に夷王山山上の勝山館跡から現在地に本殿を移し、江差町から金毘羅堂を移設、拝殿としました。
狛犬は、北前船で運ばれた福井特産の笏谷石(しゃくだにいし)製。

福井・足羽山から九頭竜川を三国湊(みくにみなと=福井県坂井市三国町)まで下り、三国湊から北国船で運ばれたもので、笏谷石は北前船の船倉に、船の安定を図るバラストも兼ねて置かれていたのだとか。
江差、上ノ国周辺ではそんな笏谷石にも注目を。

社務所裏には勝山館の時代と思われる建物跡が確認されていますが、大澗(おおま)の湊を見張った物見台と推測されています。
上ノ國八幡宮と上國寺の間には江戸時代の末期頃の旧道跡も残されていますが、松前藩主の「三社詣」に使われた道といわれています。

上ノ国の有名な伝説『大蔵鰊(おおくらにしん)』(上国寺の住職・大蔵法印秀海の法力にまつわる伝説)の若宮社も合祀。

上ノ国の伝説『大蔵鰊』と上國寺住職・秀海
ある年、鰊(にしん)が郡来(くき)ず、里人たちが困り果てていた時、上國寺3代目住職・大蔵法印秀海は、
「私が神仏に祈って鰊を呼びよせよう。その代わり鰊が郡来た際には私に少し分けて下さい。寺の修理をしたいので」
と願い出ます。
里人はそれはたやすい願い事だと約束します。
秀海の祈願が通じて、時期外れ(旧暦5月・新暦6月)でしたが例年以上の鰊大漁に里は賑わいます。
ところが性悪な人が「秀海の祈願のご利益でない」とし、秀海と争った挙句、ついに秀海は死んでしまいます。
里人たちは秀海の霊を鰊神として若宮に祀りました。
秀海の庵のあった辺りの地名が大蔵屋敷で、鰊が打ち上げられると里人は「大蔵鰊」と呼びました。
上國寺過去帳によれば秀海の没年は1598(慶長3)年。
往時は国道の南側に鎮座した若宮社も1598(慶長3)年創建。

 

上ノ國八幡宮
名称 上ノ國八幡宮/かみのくにはちまんぐう
所在地 北海道檜山郡上ノ国町上ノ国
関連HP 上ノ国町公式ホームページ
電車・バスで JR江差線上ノ国駅からタクシーで7分
ドライブで 函館空港から約90km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 上ノ國八幡宮 TEL:0139-55-2065
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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