立待岬

立待岬

晴れた日なら、津軽海峡の先の下北半島が間近に迫る絶景地が函館山から派生する尾根の東端、海に落ちる立待岬。寛政年間には、北方警備の台場が設置され、外国船を監視する要地でもあった場所で、明治時代には函館要塞(函館山全体が要塞化)を守る要塞が築かれていました。断崖絶壁の岬は津軽海峡の展望台としても人気です。

晴れた日には下北半島を眺望し、夜にはイカ釣りの漁火が眩しい

立待岬
立待岬

谷地頭(やちがしら=函館市電谷地頭停留場)から岬に至る道の途中には、石川啄木とその家族が眠る、石川啄木一族の墓があり、啄木の墓碑には、歌集『一握の砂』に収められた「東海の小島の礒の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」が刻まれています。

岬には、与謝野寛、晶子夫妻が、昭和6年に函館を訪れた際に詠んだ歌を刻んだ歌碑(「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと 晶子」、「濱菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土 寛」)も立ち、岬一帯は文学ファンにとっても見逃せないポイントになっています。
広場の一角は「はまなす公園」として整備され、花期には甘いハマナスの香りに包まれます。

岬への取り付け道路は幅員が狭いので注意を。
11月30日〜4月中旬は車輌通行止めとなり、冬季は徒歩でのみ到達できます。

なおアイヌ語ではピ・ウシ(pi-ush-i=石が・ある・ところ)で、岩の上で魚を待って槍で突くなどをしていたため、和人が立待岬と意訳したと推測されています。

立待岬を舞台にしたご当地ソングが昭和57年に発売された森昌子の『立待岬』(作詞・吉田旺、作曲・浜圭介)で、この歌のヒットで『第33回NHK紅白歌合戦』に出場しています。

立待岬台場
寛政年間に、北方警備を目的に築かれた立待岬台場。
1貫目大筒(口径85mm)、97門を備えていました。
ただし、箱館戦争を記録した荒井宣行の『蝦夷錦』などによれば、実戦に使われたのは皮肉にも箱館湾海戦に参加した新政府軍の陽春丸(691トン、400馬力/榎本艦隊追撃に参加)への砲撃のみ。
明治2年4月25日(1869年6月5日)、立待岬台場、榎本艦隊の軍艦と陽春丸は砲撃戦を展開しています。
現在では、立待岬台場の遺構はほとんど目にすることはできません。

立待岬 DATA

名称 立待岬/たちまちみさき
Cape Tachimachi
所在地 北海道函館市住吉町先
関連HP 函館市公式サイト
電車・バスで JR函館駅から市電谷地頭行きで5分、終点下車、徒歩15分
ドライブで 函館空港から約10km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 函館市観光部 TEL:0138-21-3111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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