根崎神社『例大祭』|八雲町

毎年8月14日〜15日(13日が宵宮)に斎行される根崎神社の『例大祭』。天狗行列を先頭に熊石地域の各地区からの山車(だし)7~8台が地域内(熊石関内地区~熊石鮎川地区)を2日間かけて練り歩きます。

絢爛豪華な山車が熊石地区を巡行し最終日に根崎神社に集結

8月13日の宵宮は、各地区自慢の山車8台のうち5台ほどが笛や太鼓などを響かせながら根崎神社に集結し、鳥居前で「魂入れ」という神事を行ないます。
8月14日と15日は午後から天狗や神輿とともに、すべての山車が列をなして、夜まで巡行します。
最終日には、山車が根崎神社前に集合するので、ここがシャッターチャンス。

根崎神社の創建は定かでありませんが、記録に残る初出は、慶長11年(1606年)5月16日、乙部村八幡神社の神主・宇田播磨守豊島が根崎神社の祭儀を初めて行なったことです。
松前藩の12代藩主・松前崇広(まつまえたかひろ)の扁額も残るので、松前藩主の尊崇もあったと推測できます。
主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)。熊石地区の鎮守社です。

ニシン漁で栄えた熊石の栄華を今に伝える山車と祭礼

江戸時代から明治にかけて、鰊(ニシン)漁場として栄えた熊石。絢爛豪華な山車は、そんな歴史を物語るのに十分です。
北前船で栄えた江差町の『姥神大神宮渡御祭』に並ぶ北海道最古級の祭礼といえるでしょう。

熊石(クマイシ)と言う地名は、アイヌ語の「クマ・ウシ」(kuma-us-i/物干し・多くある・所)が語源。物干しとは魚(ニシン)を干す棚や竿のこと(北海道に多い熊牛という地名もこのクマ・ウシに由来します)。
アイヌ語の地名からもわかるように、熊石は千石場所を超える「万石場所」といわれるほどニシン豊漁の地だったのです。

弘化2年(1845年)旧暦4月、ニシン漁の最盛期に熊石を訪れた探険家・松浦武四郎は、船の帆柱やニシンを干す竿が立ち並び、沖と岸を行き交う船の人たちのはやし声が村中に響く活況に「真に宇宙の壮観なり」と『西蝦夷日誌』に記しています。
さらに、松浦武四郎の『竹四郎廻浦日記』には熊石は「人家三百弐十六軒、人口千六百七十二人」とあり、今より隆盛していたことがわかります。

「余は陸行す。扨其熊石村たる哉、漁檐櫛比、帆竿は排立、棹歌互答、漁業の壮なること眞に宇宙之壮観也。其熊石も本命はクマウシにして、魚棚多との訛りなりし也。村人は夷言たることを忘れて、雲石とて雲のごとき石有故故號といへり。」(松浦武四郎『西蝦夷日誌』)

熊石にニシンが大群で産卵し海面が白く濁る「群来(くき)」が途絶えたのは大正2年頃。桧山各町と八雲町熊石、ひやま漁協では、「ひやま地域ニシン復興対策協議会」を結成し、ニシンの再来に尽力しています。

 

根崎神社『例大祭』|八雲町
開催日 8月14日〜8月15日(8月13日宵宮)
所在地 北海道二海郡八雲町熊石根崎町114
場所 根崎神社、熊石関内地区~熊石鮎川地区
問い合わせ 根崎神社社務所 TEL:01398-2-3125
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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