【知られざる北海道】vol.7 「北の小京都」松前で知られざる寺町を歩く(後編)

龍雲院、法源寺、法幢寺など5つの寺や松前藩主松前家墓所が現存し、道内唯一の近世的な寺町として北海道遺産「福山(松前)城と寺町」にも認定の松前の寺町。前編ではその由来の秘密と光善寺を紹介しました。後編では龍雲院、法幢寺、阿吽寺に参詣しますが、そこには北海道に渡った安東氏の歴史や、北前船で運ばれた京の文化など、知られざる北海道が満載!

龍雲院の山門。見事な彫刻に注目を

龍雲院の山門。見事な彫刻に注目を

 

江戸時代のままの伽藍が現存する龍雲院に参詣

龍雲院は曹洞宗の寺で、寛永2年(1625年)の創建。箱館戦争の戦禍をまぬがれ、江戸時代のままの伽藍(がらん)を残す貴重な寺院です。本堂・庫裏は天保13年(1842年)の建築で、松前にある現存する本堂建築では最古のもの。しかも新潟県柏崎の大工によって建築された、各部に優れた彫刻を用いた建物ということで国の重要文化財に指定されています。素敵な鐘楼は弘化3年(1846年)築のもの。

龍雲院という名は、松前藩2代藩主・松前公広(まつまえきんひろ)の正室として京から腰入れした奥方(大炊御門資賢の娘)が亡くなった長男の冥福を祈って、松前家菩提寺・法幢寺の三世良天和尚が開山。寺名も早逝した長男・松平兼広の戒名からとったものと伝わっています。ちなみに夫の松前公広は、元和6年(1620年)、福山城の城下町を整備しているので、城下町整備直後に創建ということになります。

弘化3年(1846年)築の鐘楼と、参道に鎮座する石仏

弘化3年(1846年)築の鐘楼と、参道に鎮座する石仏

 

阿吽寺は北海道最古の寺!?

松前家の菩提寺で、山門は天保5年(1834年)築の法幢寺(ほうどうじ)、松前家の祈願所の阿吽寺(あうんじ)など地図を見ていただけばよくわかるのですが、小さなエリアに密集するように寺が固まっています。
阿吽寺に関しては、実は「北海道最古の寺」という説も。
十三湊・福島城の城主・安東氏の菩提寺で山王大明神を祀った阿吽寺(現在の五所川原市の山王坊日吉神社境内にある山王坊遺跡が跡地と伝えられます)の主僧・永善坊道明と真言修験者・山王坊らが、南部氏に敗れた安東一族に随従して蝦夷地に渡海。蝦夷地に渡った安東氏は茂別館(もべつたて/現在の北斗市矢不来)に舘を築きますが、この居館近くに建てられた阿吽寺が北海道における最初の寺院建立といわれています。
十三湊は、中世、日本海北部最大の国際交易港。
それを拠点に活躍した安藤盛季(あんどうもりすえ)は、嘉吉3年(1443年)頃(松前藩史『新羅之記録』による)、南部義政に攻撃され、蝦夷地へ退転。茂別館を築いていますが、永正9年(1512年)以降に安東氏が築いた大館(現在の松前にあった居館=松前町神明の徳山大神宮が跡地)に移転し、大永7年(1527年)、蠣崎義広(かきざきよしひろ=松前氏の祖)が再興し、正式に蠣崎氏(後の松前氏)の祈願所となりました。

「海渡山阿吽寺」と称しているのは、その歴史的な由来からです。
寺の場所は、元和3年(1617年)頃、松前城の鬼門(北東)鎮護のため、現在の場所に移っています。寺の山門は松前城の北東側にあった堀上門を移築したもの。戊辰戦争の戦火で消失した山門の代わりに松前城の城門が転用されたもの。
明治6年、北海道開拓使は新政府の方針として、松前城の破却と残存する建物を役所や官庁へ転用することを命じたのです。その結果、寺の山門として堀上門が奇跡的に残されたという話。

余談ですが、安藤盛季の蝦夷地渡海に従った武将に武田信弘、河野政通、相原政胤らがいますが、そのうちの河野政通は、宇須岸に館(だて)を築きます。「その形が、箱に似ているところから、土地の人は『箱館』と呼び習わすようになり、それが函館という地名の由来になったのだとか。

松前の寺には数々のドラマが隠されています。

十三湊にある日吉神社。実はここが阿吽寺のルーツ

十三湊にある日吉神社。実はここが阿吽寺のルーツ

十三湊に残る福島城跡は、蝦夷地に渡った安東氏の居城

十三湊に残る福島城跡は、蝦夷地に渡った安東氏の居城

 

北前船で運ばれた京風の文化

しかも地元の人はその魅力にまったくといっていいほど、気づいていないのですが、素敵な石仏が随所にあります。
北前船で運ばれた京風の文化が背景にあり、石材も越前国・足羽山(現在の福井市)から九頭竜川を三国湊まで下り、三国湊から北国船で運ばれた笏谷石(しゃくだにいし)を使った場所がかなり多くあります。これは北前船の船倉に、船の安定を図ることも兼ねて笏谷石を置いたからとか。

歴史好きにはたまらない魅力も随所に隠されているのが、「北の小京都」の魅力です。
松前は桜の季節が有名ですが、実は有名な松前屏風(小玉貞良作)に描かれた松前は、宝暦年間の秋の松前。江差屏風の春と対になっているといわれますが、松前出身で松前を知り尽くした画家、小玉貞良があえて秋を描いたのにはそれなりの理由があったことでしょう(もちろん桜などは当時は植栽されていませんが)。

俳句の歳時記には「松前渡る」と「松前帰る」という季語があります。文字通り、春に渡り、秋に帰るという出稼ぎ労働を意味する季語ですが、冬支度をしながら北前船に北の海の幸を満載する秋は、さぞかし賑やかだったことでしょう。もちろん、当時、アイヌとの交易は松前藩が独占していましたから、城下町の活気はまさに屏風絵を見れば一目瞭然です。

さてさて、松前の旅の拠点となる宿ですが、今回寺町をガイドしてくれた若女将の杉本夏子さんが頑張る、温泉旅館矢野は、松前随一の老舗。フロント前には甲冑など数々の歴史資料も展示されていますし、フロント背後には巨大な松前屏風(レプリカ)が掛けられています。
事前に予約すれば、松前藩主の味わった「藩主料理」を堪能することも可能です。
「松前藩主第14代徳広候の婚礼の祝膳を参考にして、現代の人の口に合う様にアレンジしています」(杉本さん)とのこと。

小さなエリアに寺が密集し、「寺町散策路」で結ばれています

小さなエリアに寺が密集し、「寺町散策路」で結ばれています

温泉旅館矢野に展示される松前屏風図(レプリカ)を解説する若女将の杉本夏子さん

温泉旅館矢野に展示される松前屏風図(レプリカ)を解説する若女将の杉本夏子さん

「藩主料理」の一品、松前の名産蝦夷アワビを使った炊き込みごはん「あわび飯」

「藩主料理」の一品、松前の名産蝦夷アワビを使った炊き込みごはん「あわび飯」

 

龍雲院・法源寺・法幢寺・阿吽寺 DATA

名称 龍雲院/りゅううんいん
所在地 北海道松前郡松前町松城305
問い合わせ TEL:0139-42-2449
名称 法源寺/ほうげんじ
所在地 北海道松前郡松前町松城341
名称 法幢寺/ほうどうじ
所在地 北海道松前郡松前町松城307
問い合わせ TEL:0139-42-2209
名称 阿吽寺/あうんじ
所在地 北海道松前郡松前町松城371
問い合わせ TEL:0139-42-2249
電車・バスで JR木古内駅から函館バス松前バスターミナル行きで1時間29分、松城下車、徒歩8分
ドライブで 函館空港から2時間20分
駐車場 200台(松前城内寺町共同駐車場)/無料

ABOUTこの記事をかいた人

酒井正人

ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。